2009年10月22日

◆福島香織さん突然の退社

渡部 亮次郎

産経新聞の元中国総局記者だった福島香織さんが10月21日、ご自身のブ
ログで「11月30日付で退職する」と明らかにし、心ある人たちを驚かせ
た。http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/

<■ツイッターでさきにつぶやいてしまいましたが、実は11月30日付で
退職することになりました。家庭の事情やらなにやらが重なったところ
へ、早期退職制度の募集があったので、利用させていただきました。

きょう、人事部にいって、離職届にサインしたり、失業保険の説明をう
けたりして、えー税金ってこんなにとられるの、とか、国民健康保険っ
てどのくらいかかるんだ?とか、驚いたり不安がったり、なかなか新鮮
でありました。

■初めての失業経験です。どきどき。失業のあとはワーキングプアの道、まっしぐら??かもしれません。とりあえずは、早期退職制度なので、それなりの退職金が上乗せされますから、すぐに飢え死にすることはなさそうです。失業保険も240日出るそうです。じっくりリスタートの戦略をねることとします。

■あと1カ月あまり時間があるので、その間は記者として取材もします
し、このブログも更新します。臨時国会のゆくえも追います。それまで
よろしくお願いいたします。>

同じマスコミ中途退職者たる私もそうだったが、本当の事情は余り語り
たくなかった。福島さんにどういう展望が開けるか、気になる。いずれ
にしろ、産経新聞は惜しい人を失った。

福島香織さん。bウログに掲載している自己紹介は以下の通り。

<元中国総局記者(註:08年帰国)。現在は政治部平河クラブで幹事長番。平成13年に香港支局(すでに閉局)勤務、14年から北京駐在。20年秋、東京本社政治部。目下、防衛省のおひざ元でマンション暮らし。

趣味は美食、読書、旅行、観劇。目下、北京への帰還の望みを胸にネッ
トやメールで中国情勢をウォッチしつつ、政治家および政治部員の流儀
を観察中。好きな言葉。「逃げない、はればれと立ち向かう」(岡本太
郎)>

マスコミ界の先輩に聞くと、福島さんについて、東京では「早晩、退社
する」と言う噂がながれていたそうだが、その人も来年3月の年度替り辺りを想像していたそうで、早目の退職には「何があったのだろうか」と案じていた。

それにしても福島さんは10月1日の「新中国成立60周年の国慶節」を態々「見学」に行き、ブログに掲載しておられた。それが、何故、突然の退社なのだろうか。

■新中国成立60周年を迎える国慶節、テレビでごらんになりましたか?
私はわざわざ北京にまで見に行ってしまいましたよ。ですが、天安門広
場はもとより長安街に近づくことすらできませんでした。

外交人員公寓の中国総局の窓から長安街が見えるんじゃないかとと思っ
て、行きたいと総局長に頼んだのですが、部外者は入れてはダメだと通
達がいっていたそうで、断念。

それで友達の家にこもってCCTVの中継をみたのでした。でも、大望
路近くの友達の家の前を戦車がごろごろ通ったり、上空を戦闘機がぶん
ぶん飛ぶ、北京らしさは堪能できた!

■さて、あの大閲兵式と60周年祝賀行事をみて、どう思われましたか?
 なーんだ、この程度の兵器、米軍の水準とくらべれば1世代半は遅れ
ているな、と軍事好きの友人は言ってました。私は兵器音痴なので、空
を飛んでる戦闘機がどの程度のものかぜんぜんわかりません。

■それより、恐ろしいと感じたのは、軍事パレードのあとの学生
と市民ボランティアによる一糸乱れぬマスゲームと祝賀パレードです。
18万人が参加したそうですが、夜中の3時にすでに建国門内に入ってス
タンバイしていました。

■で、夜が明けて、午前10時から午後1時ごろまで立ちづめ、踊りづめ
ですよ。食事もパン1個、牛乳1本しか与えられなくて(トイレに行き
たくなると困るから)、紙おむつしているとかいう話が地元紙に載って
いたました。

日本人の友人に報告すると「それって人権問題じゃない!」とかいいま
すが、ボランティアですから、本人たちが志願して楽しんでやっている
のですから、しかたありません。

■10年前の50周年の祝賀行事を知る日本人の友人は、「こういう中国の
マンパワーを全面に出す演出はなかった。少なくとも50周年のときは、
マスゲームは北朝鮮に比べるとまだまだなと思った」といいました。

私は正直、核弾頭を3つ登載できるICBM東風31A型よりも、8万人
が1人もミスしない人文字の方が日本にとって脅威だと感じました。背
丈も腰の高さもそろえて、表情さえみな同じにできる。

党のためならトイレもがまんできる、ああいう人たちが、束になってか
かってきたら、日本はたちうちできませんて。

こんな風に中国の人の多さを見せつけられると、日本がいくら最低賃金
を引き上げても、技術をもっていても、安価な労働力でもって安価な商
品を大量につくって日本に輸出してくれれば、日本は永遠にデフレから
脱却できないような気がしてきますね。

■私は個人的には、あの2000万人も餓死者を出した大躍進や文化大革命
を乗り越えて、いまだ地方・辺境に民族問題の火だねや農民暴動の危機
をかかえていながら、北京や主要都市では、ここまでのすばらしいパン
とサーカスを市民に与えられる中国に対して、と本当に立派になったね
ぇ〜と心から祝福したいと思います。

街に戦車が走っていても、もう人民に向かってくることはありません
(と思います)。とりあえずは今のところ、漢族に向かって来ないと思
えるとは本当にすばらしい国になったものですね!(棒読み)

■印象的だったのは、大閲兵式の胡錦濤国家主席のグレーの中山服(人
民服)。こういうときは、軍事委主席用の緑の軍服もどきを着るのが慣
例だったはずですが、あえて、軍人とは違うのだよ、ということを控え
めにアピールしてましたね。

相変わらず軍事委の制服組とは折り合いが悪いんでしょうか。パレード
で軍の存在感を誇示する一方で、軍事パレードをしのぐマスゲームや山
車パレードを演出する。軍の機嫌をうかがいつつ、民衆に媚びを売る、
微妙な胡錦濤政権の姿勢がかいま見えるような気がしますね。

■日中友好協会からは、老朋友として村山富市元首相、加藤紘一会長ら
4人が招待されたそうです。村山さんは天安門楼上にいたのがテレビで
しっかり映っていました。

あの狭い天安門楼上にあげてもらえる国賓は相当絞られているので、村
山元首相がいかに中国政府から大事にされているかがわかります。あと、朱鎔基・前首相がサングラスかけてちらりと映っていて、「おお、朱鎔基がテレビで映るのひさしぶり〜」と、なぜかみんな感動していました。

■建国門内は、一般市民や一般観光客は完全に閉め出されていました。
私は建国路沿いのホテルにいたので、朝4時くらいに道路沿いに出て、
「大閲兵式に参加する戦車はぜったいここを通るから」と河北省からわ
ざわざ北京にきたお上りさん観光客のおばさんたちに言われて、一緒に
ずっと待っていました。

ですが、結局、戦車は通らず。ホテルの人に聞くと「夜中の3時ごろに
もう建国門内に入っていたよ」と。恥ずかしながらその時刻は爆睡中で
戦車が通ったのに気付きませんでした。

■街中に140万人ぐらいボランティアの治安要員が動員されていたんで
が、そのボランティア治安要員が、偉そうで、何があるわけでもないの
に、早く帰れ帰れと追い立てます。

結局、戦車はあきらめて友人宅の家にいって一緒にテレビ中継をみたわ
けです。でも、そのおかげで閲兵式が終わって基地に帰る装甲車とか戦
車もどきを、結構間近でみることができました。結構スピードでるんで
すね。

■ちなみにこの日はすばらしい晴天。人工消雨のためのヨウ化銀ミサイ
ルをばんばん打ったそうです。おかげで2日も中秋の名月の3日も、北
京はすばらしいお天気でした。

3日は友達と上海ガニを食べ、故宮にお月見というフルコースを堪能。
天安門広場は、国慶節祝賀パレードに登場した山車が展示され、特別設
置された大画面で何度も大閲兵式の様子を放映していました。

このころになると「戒厳令」もどきの交通規制も、外出禁止令(?)も
ほぼ解かれ、市民や観光客の表情も本当にリラックスして、名月を楽し
んでました。身動きとれないほどの人出でしたが。

■でも、久しぶりに中国の自信を肌で感じることもできました。月明か
りに照らされた穏やかな市民の笑顔をみると、この豪華絢爛勇壮なパレ
ードが演出する中国の平和と発展が、ヨウ化銀ミサイルの作り出したひ
とときの晴れ間と同じ種類のものでないことを、お月様に祈りたい気分
になりました。

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