2009年11月09日

◆鳩山を見限った小澤

渡部亮次郎

<2009年11月2日の記者会見で小沢氏は「僕は政策論はやらない。私は党務の方ですから、そういう類のことを発言する立場ではない」と語った。鳩山内閣が失政を行っても、小沢氏が直接責任を問われることはない。

キングメーカーにとってこれらは好都合だ。鳩山首相が失脚したとしても、安全圏にいる小沢氏がポスト鳩山を指名することになる。政権の表の顔は変わっても小沢一頭体制は続いていく。

国会論議の活性化を唱える小沢氏が、政権党の幹事長でありながら衆院本会議で首相の所信表明演説への代表質問を見送っても許されることにもなる。

9月16日に鳩山内閣が発足してから、民主党の国会議員が報道陣の前で公然と、小沢氏を名指しで批判した例は寡聞にして知らない。

政権交代の熱気が冷めやらず、また内閣支持率が高水準を保っているからでもあろうが、最高実力者への批判皆無の政党が「民主党」を名乗っているのは奇妙な感じもする。>産経新聞政治部 榊原智(さかきばら・さとし)記者2009/11/07 10:12更新「SANKEI EXPRESS」

『政府は鳩山、党は小澤』と、いわば棲み分けを取り決めた両者である。だからと言って、党の役員会に党首を呼ばない政党と言う事実は異常としか言えない。

「向こうは政府の代表。政府の代表をこんな場に呼び出すわけにはいかない」というのが、考え抜いた小澤の屁理屈である。一見、正当そうに聞えるかもしれないが間違っている。なぜなら、では党代表は党役員では無いことになってしまう。

要は、党操縦に関して独裁体制を完成させた小澤が、もはや鳩山を見捨てたのではないか。政府に対して口出しもしない代わり、協力もしない、ということだからである。

それでいながら、各界から政府に対する陳情野一切を、政府ではなく、幹事長室が受付、そこから政府に取り次ぐのだという。理屈は、陳情を通じて自民党のような「族議員」の育つ事を阻止するというのだが、これは国民と政府とのパイプを絶つことにも繋がる。

さらに言えば、これは幹事長が総理大臣の上にたつことになり、いわば下克上を地で行くもので、誠に恐ろしい独裁政治の到来を意味する。ヒットラーも真っ青だ。

鳩山がもっとも苦労している来年度の予算編成と基地問題を中心とする日米関係について、小澤の発言が一切、無い。それは『政策』であって党務では無いからだし、幹事長の責任で無いといえば、無いからだ。

僕は政策論はやらない。私は党務の方ですから、そういう類のことを発言する立場ではない、と言っているのは、財源問題で予算編成が悪評さくさくになろうが、オバマ大統領の訪日で、対応に失敗しようが小澤は関知せずと宣言したものである。私は小澤は、既に
鳩山を見限ったと見る。

一時、小澤は鳩山政権について「年内は保(も)たせたい」と気遣った発言が伝わってきたが、「最策に関与しない」と述べた2日の発言は、「どうなっても知らない」との宣言に違いない。

「友愛」を標榜する鳩山は、自分が友愛を感じれば、小澤も感じるはずだと能天気に考え、今夜も幸(みゆき)夫人と幸福に浸っているだろうが、真実を知らないのは、むしろ幸(さいわい)かもしれない。

だが、小澤に友愛はない。政治的理想も無い。有るのは、自分をかつて追い出した旧竹下派を無き者にするべく、自民党を潰すという怨念と野心だけである。己の指名する首相が菅であろうがだれであろうが関心は無いのだ。

案外、参院でも単独過半数を獲得した暁には「わがこと成れり」と政界を引退するかもしれない。彼に論理や正義は無いからだ。
(文中敬称略)2009・11・8
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