2009年12月04日

◆最近の風潮に思うこと(その四)

真鍋 峰松

前回まで「最近の風潮に思うこと」として取り上げてきた背景には、間違いなく今年の行われたマニュフェスト選挙の実施とその後の政治情勢が影響している。

華々しく喧伝された政党のマニュフェストではあるが、いざ実行という段になって、その内容に共感して投票した国民の期待を裏切る事態が多々見られることは、最近のマスコミ報道で日々伝えられている通り。

これでは率直に言って、公約を並び立てきた従来の選挙と何処が違うのか、私には釈然としない。
 
勿論、政治上のこと、ましてや選挙活動中でのこと、“いい””悪い“を極めつけられない部分があることも現実であり、もともとその幅の中をゆるやかに往還するのが実際の政治である、との考えには変わりはない。 

むしろ、仮に黒白が判然とするにしても、その判断には相当の期間を必要とすることは常であり、場合によってはより長期的な歴史判断を待たねばならぬことも当然のこと、と思う。

だが、政党責任者の断言的な物言いからして、“それにしても”という思いは拭えない。 これはある本からの受け売りだが、こんな皮肉な記述があった。
          
「浪花商人の契約書には、次のような但し書きをつけるのを常とした。“この約定に決して背いたしません。 万一、それにそむくことがありましたら、満座の中でお笑い下さってもすこしもうらみとは存じません”。 

それは信用を旨とする商人にとって最高の罰だった。 商人精神とは、こうして何よりも面子を重んじる精神でもある。」というのである。 

そこに窺えるのは、当時の一般庶民の間で息付く、名誉を重んじる心、恥を知る心であり、まして時の為政者たる武士階級の中においてはより重きを為したこと、言うまでもあるまい。
 
よく、日本の国柄は「恥の文化」、西欧は「罪の文化」と言われる。 

この視点から分析した典型的な書物が、アメリカが第二次世界大戦中に交戦国日本と日本人を理解・解読するために社会人類学者のルース・ベネディクトに研究させた成果の書「菊と刀」である。

このベネディクトの分析もかなり断片的・一面的なものだという気がするのだが、江戸時代に用いられた契約書に見られる浪花商人の面子を重んじる精神からみると、日本の国柄は「恥の文化」という結論は、当らずとも遠からずとも思う。 

シェイクスピーアの有名な「ベニスの商人」に描かれた、西欧風の契約万能の思想とは大違いである。

現代日本のギスギスした人間の心と感情的な二者択一的な議論ばかりの政治や社会に思いを致せば、やはりその底流は、西欧風というより米国流の自己本位の利潤と、効率一点張りの契約万能思想や市場経済至上主義の行き過ぎた影響の結果だと思わざるを得ない。 

最近ようやくにして、過去の日本独特の歴史風土や精神構造を見直し再評価せねばならないという風潮も起こってきたようにも思う。

その顕著な表れの一つが「〜〜の品格」や「〜〜の見識」といった著書ブームであり、ここ数年のNHKの大河ドラマの題材選択の流れにも大きな影響を及ぼしているような気がする。

松原泰道老師は、その著書の中で「心の背骨の退化と軟化は自分で努力して防ぎ、鍛えなければ、誰も鍛えてはくれません。心の背骨の軟化を防ぐには、つねに“莫煩悩(おもいわずらうな)”と自分に呼びかけなさい。多くの先輩は、この莫煩悩の自分への呼びかけで、自分の背骨を太く鍛えたのですから―」と教示される。

私は、老師の“莫煩悩”の教えを大切に守り、これからも人生を過したいと思う。と同時に、社会全体で再度、名誉を重んじる心、恥を知る心を保持することの重要性を改めて認識し共感することにより、始めて人間の・社会の背骨を太く鍛えることに繋がるのではないかと考える。 

そして、これが日本再生の一つの糸口となることを期待したいのである。(完)<評論家>


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