2009年12月30日

◆大阪「お笑い殿堂」、そのまま

毛馬一三

<本稿は、全国メルマガ「頂門の一針」12月30日号に掲載されました。同誌掲載の満載卓見をご覧になりたい方は、下記から。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

■移転先を巡り迷走状態だった「大阪お笑い殿堂・ワッハ上方」(大阪府立上方演芸資料館)が、結局、現在の場所で存続することで、やっと落ち着いた。

一時は大阪の観光名所・通天閣移転へ傾きかけたが、橋下徹大阪府知事の決断で28日、“振り出し”に戻った。マスコミは「二転三転の上の大逆転」で決着と、意外性を報じている。

しかし、実はここに至るまでには、いわゆる橋下流のしたたかな情況判断と駆け引きが込められた秘策がある。

もともと、当選直後の橋下知事は、際立った政治姿勢をいち早く披瀝する目的で、年間賃料が約4億円要する「お笑い殿堂・ワッハ上方」の運営費を早速槍玉に上げ、直ちにこれより安価な場所への「移転」を俎上に掲げた。

つまり知事としては、大阪伝統文化保存育成の手抜きだと評価されても、安価な「移転先」を優先させる方が、府民には財政再建を貫く知事の積極姿勢が、分かりやすく、しかも効果的だとの筋書きを立てたのだ。

「ワッハ上方」は、浪速の漫才師「捨丸師匠の鼓」の保存をきっかけに、昭和63年から西川きよし氏と大阪府庁生活文化部(当時)が共同して企画、吉本興業に協力を求めて、平成8年11月14日にオープンしたものだ。

ここには、設立当初「浪速有名芸人の遺品、ビデオ、レコード、音声テープ」などの資料が、遺族や愛好家から4万点余が寄贈され、今では7万点に達すると言われている。「府庁が責任を以って保存してくれるなら、喜んで預けたい」と盛り上がった。

だが、「ワッハ上方」も創設以来13年間して除々に来館者も減り出したこともあって、たしかに知事案に理解を寄せる世論が醸し出され出した。

このため知事は移転先の選択肢の一つとして、今より年間経費を約3億円節約出来る「通天閣」への移転をしようと、自ら現地視察し交渉を煮詰め出した。交渉は前進し出した。

ところがそこに至って、難問が立ちはだかった。

i)大阪府と吉本興業との「ワッハ上方」の最重要規定である契約期間がまだ3年残っており、大阪府がこれを強行するなら吉本側は訴訟も辞さない構えを見せ出した。
i)寄贈に協力した著名芸人の中から、「通天閣」へ移転するなら、寄贈品の返還を求める動きが出始めた。

i)「通天閣」への移転後は、「資料展示」のみに縮小するとした府案に対し、「保存管理」に新たに費用をかけて「通天閣」に維持装置を新設すべきだとの意見が出だした。
I)かつ、現地運営に当たる在阪放送局によるNPO法人が、「移転」そのものに反対行動を強めだしたーなどなど。

橋下知事の真骨頂はここからだ。こうした露呈してきた難問に苦渋している意向を全く見せず、吉本興業に対して「通天閣移転」実施意向を伝える場を拵え、吉本側に譲歩の考えがないかどうか最終的な確認をやってみたのだ。一種の賭けでもあった。

ここぞとばかり吉本側も踏み込んだ。現在の4フロアのうち落語や漫才を公演する「ワッハホール」のある5階は吉本が運営。残る3フロアの家賃は年1億円として、吉本が委託料0円で管理を請け負うなどと提案したのだ。しかも隣接する「なんばグランド花月」などと連携し、集客増を図るという。

知事の「読み」は見事に成功した。「通天閣」と同額で運営が可能になり、「ライブラリーの維持は従来通り完璧に行われる見通しがたった。否応もなかった。知事は「通天閣観光」の社長を訪ね、陳謝を兼ね移転取りやめを報告している。

こうして「ワッハ上方」は、現在の場所で存続することで、やっと決着したのである。

筆者は、「ワッハ上方を作った男たち」という題名で、「ワッハ上方」創設のドキュメント小説を2005年5月に(有)西日本出版社から発刊している。苦闘話ばかりだ。(http://www.jimotonohon.com

ここに登場する大阪府庁、吉本興業、民間放送局の諸氏(ほとんどがOB)、それに西川きよし氏らは、きっと今頃、極限を超えて譲歩した吉本興業と、秘策を弄しながらも浪速の文化殿堂を護った橋下知事に感謝しながら、将来にわたり「ワッハ上方」が永続することをひたすら願っているに違いない。筆者もそう願っている。(了)
                                           2009.12.29
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