2010年01月15日

◆くず屋乃至バタ屋

渡部亮次郎

<近世前期にすでに京の町には紙くず買がいた。1690年(元禄3)刊の「人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)」には,大きな布袋を肩にかけ,さお秤を携えた女の紙くず買の姿が描かれ,紙であればなんでも買い集めて直し屋(再生処理業者か)へ売るとしてある。

紙くず買はその後大坂,江戸その他の町にも現れ,近世後期には男性の仕事となり,古着,古銅,古鉄,古道具などをも買い集めるようになった。

布袋にかわって大きな籠を背負い,買い集めたものはそれぞれ直し屋,古着屋,古鉄屋,古道具屋などに引き取られ,口銭をもらった。こうしてくず屋ともいうようになった。

西鶴の「好色一代女」には紙くず拾いのいたことがみえ,山岡浚明(まつあけ)の《類聚名物考》には,関東の紙くず拾いは籠をかつぎ,竹の長ばしで道路に落ちている紙くずを拾うとしている。

近代ではくず屋は手車やリヤカーをひいて廃品や不用品を買い集め,紙くず拾いはバタ屋と呼ばれるようになった。

現代では一般に廃品回収業と呼ばれ,拡声器を備えたトラックで町や村を巡回し,古新聞や古雑誌をもとめる〈チリ紙交換〉がこうした業種を代表するものとなっている。>(世界大百科事典)

当たり障りの無いように書けば、このようにしかならない。

昔は秋田の田舎にも「ピールピンにサイターピン」と言って朝鮮人が空き瓶を回収に来た。戦後、彼らは暫く第三国人などと呼ばれて、
東京など大都会では肩で風を切って歩いたらしい。

しかし、温和な朝鮮人は「韓国人」と呼ばれ、隅田川や荒川周辺を根城に戦後、夥しく溢れるようになった段ボール空き箱の回収に専念するようになった。

集めた段ボールが川風に吹かれてバタバタという音を発するところから、彼らはバタ屋と呼ばれるようになった。これがバタ屋の語源である。バタ屋は「放送禁止用語辞典」に掲載され 廃品回収業者 資源交換業と言い換えろと指示されている。

隅田川と荒川に挟まれた「江東区」はバタ屋にとって馴染の土地だったから、苦労の末、カネを貯めたバタ屋は江東区に家やマンションを買った。そこで日本人に「帰化」し「在日」の顔を拭った。

かくて「類は友を呼ぶ」で、江東区のある、特定の町内は「コリアン・タウン」となって行くのは自然の流れだ。江東区への中・韓国人の流入の激しい背景はバタ屋に遡るのだ。

現在の廃品回収業者の実態は知らない。

敗戦前、山の手に住む人や日本橋、京橋、神田、谷中、浅草といった「下町」の人たちは隅田川左岸の江東区や墨田区が「下町」と呼ばれることを険しく嫌悪、「川向こう」と呼んだ。「川向こう」が放送禁止用語になっている理由は複雑である。説明すれば差別者にされかねないのである。2010・1・12
  
          
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