2010年01月29日

◆鳩山首相宛の銃弾

渡部亮次郎

私がNHK記者で、まだ仙台で農業記者をしていた1960(昭和35)年10月12日午後3時頃、日本・東京都千代田区にある日比谷公会堂において、演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の右翼少年・山口二矢に暗殺された事件が起きた。

政治家を暴力的に襲う事件は、その後もしばしば起きたが、総理官邸の総理大臣宛に銃弾が郵送される事件は、鳩山首相宛の今回が初めてである。

<首相官邸に届いた銃弾は鳩山首相あて 官房副長官が会見で説明。
松野頼久官房副長官は28日午後の記者会見で、同日午前、東京・永田町の首相官邸に銃弾の入った郵便物が届けられ、警視庁麹町署に届け出たことを明らかにした。

郵便物は28日午前10時すぎ、首相官邸に届き、X線画像で銃弾らしきものを確認したという。12時半すぎに麹町署に未開封のまま引き渡し、14時すぎに銃弾であることが確認されたという。

郵便物のあて先は「内閣総理大臣 鳩山由紀夫」となっており、差出人の記名はなかった。縦13・5センチ横22・5センチの茶色の封筒に入っていた。

松野氏は、「今のところ対応は考えていない。こういう暴力的なことに対しては断固として戦っていかなければならないし、まことに遺憾だ」と述べた。>(1月28日16時58分配信 産経新聞)

咄嗟にこれは民主党の自作自演では無いかと思ったが、まさか。民主党にはそれほどの智恵者は居ないと気づいて、やはり暴力団とつながりの有る政治団体の犯行かと思ったが、推測でしかない。

いずれ、これで鳩山首相が震え上がって総辞職なんて事はあり得ないし、おそらく犯人は永遠に挙がるまい。ただ、無知な鳩山ファンは同情する事になるだろうし、ひょっとして、支持率にも影響するかも知れない。

万が一にも「銃弾」に便乗して、そうだ、そうだ、総辞職しろと言う声が纏まる事は無いだろう。事の推移を見守ろう。

この機会に浅沼社会党委員長暗殺事件を振り返っておこう。

<この日、日比谷公会堂では、近く解散・総選挙が行われる情勢で、自民党・社会党・民社党3党党首立会演説会(東京選挙管理委員会等が主催)が行われていた。

会場は2500人の聴衆で埋まり、民社党委員長・西尾末広、社会党委員長・浅沼稲次郎、自民党総裁・池田勇人の順で登壇し演説することになっていた。

浅沼委員長は午後3時頃演壇に立ち「議会主義の擁護」を訴える演説を始めた。浅沼が演説を始めた後右翼団体の野次が激しくなり、ビラを撒く者も出た。

司会のNHKアナウンサー・小林利光が自制を求めると、場内には拍手が起き、一瞬野次が止まった。それを見計らって浅沼は自民党の選挙政策についての批判演説を続けた。

浅沼が「選挙の際は、国民に評判の悪い政策は、全部伏せておいて、選挙で多数を占むると…」と発言した午後3時5分頃、突然17歳の少年・山口二矢が壇上に駆け昇り、持っていた刃渡り33センチメートルの短刀(のちに銃剣と判明)で浅沼の胸を2度突き刺した。

浅沼は、刺された後によろめきながら数歩歩いたのち倒れ、駆けつけた側近に抱きかかえられてただちに病院に直行した。

秘書が浅沼の体を見回し、出血がなかったことから安心したが、一撃目の左側胸部に受けた深さ30センチメートル以上の刺し傷によって大動脈が切断され、巨漢の脂肪で外出血はせず内出血による出血多量によりほぼ即死状態(側近によれば、運ばれる途中踊り場で絶命したという)で、近くの日比谷病院に収容された午後3時40分にはすでに死亡していた。

山口二矢はその場で現行犯逮捕、11月2日夜、東京少年鑑別所の単独室で、白い歯磨き粉を溶いた液で書いた「七生報国 天皇陛下万才」(原文ママ)の文字を監房の壁に残した後、首吊り自殺した。

また、この事件で警視庁は、山口二矢のほかに、「全アジア反共青年連盟」責任者である吉松法俊(当時32歳)を恐喝、右翼団体「防共挺身隊」隊長である福田進(当時32歳)を公正証書原本不実記載および強要、また大日本愛国党総裁である赤尾敏(当時61歳)を威力業務妨害容疑で、それぞれ逮捕した。

公党の党首に対する攻撃を防げなかったとして山崎巌国家公安委員長が引責辞任。この事件を機に、刃物の追放運動が全国に広がるようになり、また要人警護の手法が“目立たないように”から“見せる警護”へと改められることになった。

この立会演説会にはNHKが共催として参画しており、NHKのラジオ第1で中継されていた。そのため、事件の一部始終はラジオを通じてそのまま同時に日本全国へ放送された。

また日本シリーズ(大洋対大毎戦)中継のため15時45分からの録画中継を予定していたNHK総合テレビも、15時13分に野球中継を急遽中断してテロップ速報を出し、15時21分には事件の生々しい様子を収めた映像を放送した。さらに日本シリーズ試合終了後の15時43分には、臨時ニュースで浅沼の死亡が報道された。

その後も犯行の瞬間を捉えた映像が何度も放送された。犯行場面の放送については賛否両論が相次いだが、当時のNHK報道局長であった佐野弘吉は、報道映像としての意味を重視して放送に踏み切ったことを語った。

この日NHKと民放各局は、通常の番組を変更して報道特別番組を編成した。特別番組ではいずれも民主主義と議会制度を否定する暴力が非難され、暴力の排除が強く訴えられた。

事件はまた、放送そのものにも影響をもたらした。事件以前から指摘されており方針が決まっていたテレビ番組からの暴力場面の追放の動きについても、この事件がきっかけとなって大きく加速していった。

毎日新聞カメラマン長尾靖は、少年が浅沼にとどめを刺そうとする瞬間を撮影し、日本人初のピューリッツァー賞を受けた

この事件の犯人は少年だったこともあり、この事件をきっかけに「子供に刃物を持たせない運動」が始まった。それにより、それまでは鉛筆削りや工作に使用していた肥後守をはじめとする刃物が子供から取り上げられ、以後続く刃物規制の始まりの一つとなった。

野党第1党の党首が殺された事件だったが、自民党政権は、選挙への影響を最小限に抑えた。事件前、総選挙は安保闘争の盛り上がりから一転、所得倍増計画などの経済政策で、自民党の安泰ムードとなっていた。

浅沼の死でかげりは見えたが、池田首相は10月18日の衆議院本会議で、伊藤昌哉秘書の手による追悼演説を行い、人々を感動させた。

10月24日、衆議院解散。11月20日投開票された第29回衆議院議員総選挙では、自民党は追加公認込みで300議席と圧勝した。社会党は18議席増の145議席だったが、民社党離反の痛手は埋められず、民社党は惨敗した。その後、社会党は、浅沼の追悼ムードが薄れると、構造改革をめぐる党内抗争に突入していった。
(「ウィキペディア」)2010・1・28




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