2010年03月16日

◆民主から先に接近?

渡部亮次郎

<創価学会第3代会長(当時)の池田大作が、1964(昭和39)年に「公明政治連盟」を改組して「公明党」を設立。1963年の統一地方選挙で1000人を越える地方議員を誕生させるなど急成長。

1967(昭和42)年の第31回衆議院議員総選挙で25議席を獲得しついに衆議院に進出。結成当初は「王仏冥合」・「仏法民主主義」を基本理念とすることを謳うなど、宗教的な目的を前面に打ち出していた。>(「ウィキペディア」)

私は参議院担当記者から衆議院公明党担当のNHK初代記者となった。その関係で創価学会の幹部会に招かれ取材する一方、招かれて池田大作会長と何度も食事をともにした。その時、竹入、矢野氏らは廊下で膝を折って待機していた。

だから公明党が衆議院に初進出した際には、「公明党記者クラブ」に所属し、竹入義勝委員長や矢野書記長に頼まれて、代議士会の運営などを指導した。

初の代議士会では安保、防衛問題が議題になり、議論が発展して「核武装は不可欠」という結論に達し、取材している方が「公明党の結党精神に反するのではないか」と注意する一幕があった。

あれから40年余、幼かった政党も、数々の手練手管を覚えたものだ。民主党にはじめに接近を図ったのは自分たちの癖に「接近を初めにしてきたのは民主党」とぬけぬけと嘘を言うようになった。代表の山口氏は東大出の弁護士だから当然か。


<民主が近付いてきた…法案賛成で公明代表言明
公明党の山口代表は13日、山形市内で講演し、「子ども手当」「高校授業料無償化」の両法案に賛成したことについて、「(公明党が)修正案を出したら、民主党が『のみます』と近付いてきた。我々はいささかもぶれていない」と述べた。

政治とカネに関する与野党協議についても、「民主党がすり寄ってきた」と強調した。

民主党との連携についても、「『政策が似ているから、一緒になれば』と言われるが、冗談ではない。方向性が似ているからといって一緒になるものではない」と否定した。>(2010年3月13日20時17分 読売新聞)

1967年の第31回衆議院議員総選挙で25議席を獲得しついに衆議院に進出し結成当初は「王仏冥合」・「仏法民主主義」を基本理念とすることを謳うなど、宗教的な目的を前面に打ち出していた、とウィキペディアに指摘されているように、公明党は完全な野党でいては結党の目的を達成できない。したがって自民党と連立を組んだのはいわば「時代の要請」だった。

それが今回は自民党が下野してしまった為、何とか形をつくろって民主党との連立工作をせざるを得ない。手始めに「子供手当て」と「高校授業料無償化」について「賛成」を前提に接近して行ったのは公明党が先だったことはマスコミが現認している。

ただし山口代表としては創価学会員や党支持者の納得を得るために「環境整備」よろしく恰好をつけているのだろう。公明党は遅かれ早かれ民主党と連立する事間違いない。しかし、社民、国民新党の思惑が絡むから民公連立への道程は単純ではないはずだ。
2010・3・14
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