2010年03月22日

◆仰がず尊びもしない

渡部亮次郎

昭和26(1951)年3月、新制中学を卒業する時、式では「仰げば尊し」を歌ったが、最近はどの学校でも歌われなくなったらしい。実は当然といえば当然である。先生は聖職者ではなくて教育に携わる労働者に過ぎないから、仰ぐ必要も尊ぶ必要もないと先生が言っているのだから。

NHK記者から外務大臣秘書官を数年、務めたあと、世話して下さる方がいて、日米間の教育交流の仕事を17年間した。それで日本を占領したマッカーサー元帥がなぜ日教組を作らせたかの謎が解けた。

当(まさ)に先生は、アメリカでは聖職者でも模範者でもなく、単なる教育労働者に過ぎない。労働者として雇われている以上、労働条件確保と賃金交渉を雇用者側と行う為には「団結」の労働組合が「当然」必要なのである。

小学校の教師は教科書を制作する。選択するのでは無い。制作するのである。それでいて年俸は300万円程度である。労働者として「生活」を確保する為には労働組合は不可欠なのである。

翻って、わが国では「学校の先生」は社会の模範者であり、田舎では結婚式には校長先生と駐在所の巡査、鉄道の駅長は必ず招待されたものだ。彼らこそは地域社会の模範として尊敬されていたからである。

特に先生は児童、生徒らに教科を教えるだけでなく「修身」としての全人教育を授けていたから「聖職者」といわれ、尊敬されていたものだ。従って月給を上げろとか、休みを寄越せなどという下卑た事は言わなかった。

その代わり、生徒に対しては(中学卒業を待たず)早く兵隊になって国のために死んで来いとも言った。そう言って戦意高揚を煽った先生が、敗戦の瞬間、過去をすべて否定して「平和」教育を敢行、挙句の果てに労働組合即ち日教組を結成した。多分にマ元帥の督励があった。

卒業式で合唱されることがある歌『仰げば尊し』(あふげばたふとし)は当然歌われなく運命を辿ったのである。2007(平成19)年に日本の歌百選の1曲に選ばれただけである。

作詞・作曲者不詳のスコットランド民謡とされているが、作詞・作曲ともに当時の教育者伊沢修二との説、作詞は大槻文彦・里見義・加部厳夫合議であるという説がある。

1884(明治17)年に小学唱歌を編集する際に、伊沢が唱歌として加えたのが唱歌としての始まりである。

しかし、敗戦後には、その歌詞の内容が教師を崇めるもので、民主主義にそぐわないとして大都市を中心に批判の対象となった。「労働者」たる事を主張するものは崇められてもくすぐったかった。

一方、1960年代末に学生運動が高揚すると、旧体制への反発の一環としてこの歌を卒業式で歌うことを憚る空気が大都市を中心に醸成された。

学生運動終息後も古い観念や意識の退潮は続き、また歌詞が、最初に発表された当時の明治時代でさえ一般にはほとんど用いられなかったような古い文語であるため、児童・生徒の関心も低くなっていた。

大都市の公立学校(特に小学校)では、卒業式合唱曲を『旅立ちの日に』、『贈る言葉』、『さくら (森山直太朗)』等、アーティストが歌ったヒット曲を中心にする学校が多くなった。

さらに、『仰げば尊し』を歌っている学校でも、2番の歌詞では「身を立て名をあげ」と立身出世を呼びかけている事から社会情勢の変化に合わないとして敬遠され、本来の2番を省略し3番を2番として歌われることも多い。

1 仰げば 尊し 我が師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば


2 互(たがい)に睦し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば

3 朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
「別れめ」の「め」の部分でフェルマータ(適当に音を延ばす)がかかる。

なお、題は、歴史的仮名遣いでは「あふげばたふとし」である。扇(あふぎ)をおおぎと発音する例に見るように、おおげばとおとしと発音するのが正しいのだが、現代仮名遣いによりあおげばとうとしと表記されたため、発音が表記に引きずられ(現代仮名遣いは必ずしも表音式表記ではないのにそう勘違いされたため)、誤って歌われ今にいたる。

なお、「今こそ別れめ」は係り結びの例。「別れ目」と誤解される場合があるが、実際は「今まさに別れよう」というような意味になる。

戦後、児童文学者の藤田圭雄は、この歌詞を現代風にアレンジしたが、元の歌でないと涙が出ないと保護者から不評になった。

「胸にはハンカチ 肩に鞄  泣いたり騒いだあのころから いろいろありがとう この年月 先生さよなら お元気で」。

原曲に比べて分かりやすいが、保護者の不評によりまだ歌われている学校は無い。

「仰げば尊し」の歌われる時代は2度と来ないだろう「修身」が復活する教育もあり得ないだろう。先生、いざさらば。2010・3・20
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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