石岡荘十
この32年間、中国残留孤児の生活支援に余生をかけてきた菅原幸助さん(84)に吉川英治賞・文化賞が贈られ、9日、都内のホテルで贈呈式が行われた。
吉川英治賞はもともと、芥川賞や直木賞ほど大騒ぎは市内が、文学を目指すものにとって名誉ある励ましの賞であることに変わりはない。昭和42年にできた第1回文学賞受賞者には松本清張、2回に山岡荘八、3回・川口松太郎、4回・柴田錬三郎、源氏鶏太、水上勉---と錚錚たる作歌が名前を連ねている。
そして今回(44回)は、学校でのいじめを扱った重松清の「十字架」が選ばれた。
9日夕刻、帝国ホテルで開かれた贈呈式で選考委員会を代表して、第10回(昭和51年)「青春の門」で受賞した五木寛之さんが挨拶と選評に立ち、「現代の罪と罰を鋭く描いた」と高く評価した。
吉川賞には、このような文学賞に加えて文化賞がある。文学賞に比べ地味な存在ではあるが、第7回(昭和48年)には「ねむの木学園」で身体に障害をもつ子どもを励まし続けた宮城マリ子さんが受賞しているが、ほとんどの人が無名の市民だ。
受賞者の名簿をざっと見ると、ブラジル移民に胡椒栽培を指導した人、野生の猿を記録し続けた人、文楽人形の鬘を作りつづけた職人ら、一人ひとりがその道一筋の筋金入りの頑固者を貫いてきた人ばかりだ。
その中にことしは、永年中国残留孤児の帰国と帰国後の支援に余生をかけてきた元日本陸軍関東軍の憲兵、朝日新聞記者だった菅原幸助さんが選ばれた。
菅原さんについては、これまでも何度か本メルマガで紹介しているのでここでは繰り返さないが、是非、下記をごらんいただきたい。
http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/1485775/
選考委員を代表してドキュメンタリー作家・柳田邦夫さんは「永年地味だが一筋つくしてきた皆さんに敬意を表する」と挨拶があった。
これに応えて、片肺摘出の大手術を受けて間もない菅原さんが、お嬢さんが押す車椅子でマイクの前に立ち受賞の挨拶でこう訴えた。
「中国奥地で開拓民を見捨て、自分の家族を終戦間じかにいち早く特別列車を仕立てて帰国させた関東軍や現地の満州国の官僚。私はその警備に当った。慙愧に耐えない。
その軍人遺族年金は年間500万円。見捨てられた孤児たちはやっと帰国したものの、その6割がすぐ生活保護に陥った。裁判は決着し政治解決を見たが、それでももらえるお金は生活保護に準じた厳しい条件が付けられているわずかなものに過ぎない。こんな国でいいのか。国はまだ彼らに正式に謝罪していない。中国残留孤児の尊厳のためにもこれからも国に謝罪を求める活動をつづけていく」
大正15年生まれ、85歳の老人の挨拶に出席していた10人ほどの中国残留孤児はみな鼻をすすり、涙を流した。
贈呈式の後開かれた祝賀パーティー。
菅原さんの奥さん、長男、長女、長男の奥さん、孫の2人の娘さんが、残留孤児に囲まれて記念写真に納まった。
財団法人吉川英治国民文化振興会の理事長・吉川英明氏と柳田邦夫さんは、ともに昔NHKの報道で私の同僚だった。まことに不思議なご縁だった。そのこともあって、お2人に改めて菅原さんご一家と残留孤児たちを紹介し、これからの運動への支援をお願いした。
菅原さんは、「これじゃー、まだ死ねねーな」と運動の仕上げへの情熱をつぶやいてご家族と一緒に会場を後にした。 20100410