渡部 亮次郎
1429年―1879(明治12)年まで琉球王国(りゅうきゅうおうこく、が存在した。正式国名:琉球國で沖縄本島を中心に存在した王国である。
最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだりごもん:フィジャイグムン)」と呼ばれた。
勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではあったが、隣接する大国の明(みん)・清(しん)の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。
その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結びつきが知られる。
最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じ祖先を持つことが明らかになっている。沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと高宮広士札幌大学教授が指摘する。
近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている。
明、および清の冊封を受けていたが、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。
1945(昭和20)年、沖縄戦により住民に多数の犠牲者が出る。その後、アメリカの統治下に入る。
1972(昭和47)年5月15日、日本に復帰した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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<目次>
・徳之島ヘリ部隊移設断念へ:古澤 襄
・「くい打ち桟橋方式」こそ生態系の破壊だ:泉 幸男
・沖縄県ではなく琉球王国だった:渡部亮次郎
・夢遊病者の沖縄訪問と対日工作基地:西村眞悟
・ハトは暗愚を通り越して痴呆者:平井修一
・なぜ「アメリカが日本を捨てるとき」なのか:古森義久
・話 の 福 袋
・反 響
・身 辺 雑 記
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