2010年05月10日

夕刊◆昭和のタイムカプセル軍艦島写真展

石岡 荘十

大学同窓の友人から、軍艦島の写真展の案内をもらって、土曜日、新宿のフォトギャラリーに出かけた。

「軍艦島」とは、長崎港から南西約19kmの海上に浮かぶ孤島「端島」の通称である。文化7(1810)年石炭が発見され、明治3年、天草の小山秀氏」が端島の開坑に着手したという古い歴史を持つ。

1890(明治23)年から三菱が経営してきた海底炭坑の島で、八幡製鉄所に向け製鉄用原料炭を供給し、日本の近代化を支えてきた。

炭坑の開発と並んで従業員のための住宅の建設が盛んに行われ、1916(大正5)年以降、日本初の高層(9階建て)鉄筋コンクリート造りのアパートが、次々に建設された。

最盛期の人口5,300人(当時の東京の9倍の人口密度)。高層建築が林立して、さながら海の要塞の観を呈し、軍艦の「土佐」に似ているところから「軍艦島」として知られるようになった。

映画館、各種商店、旅館、寺社など生活に必要なあらゆる施設が建設され、好景気に沸いた。戦後から昭和30年代初めにかけての生活は、その後の大都会の近代都市を先取りした豊かなものだった。

テレビ、洗濯機、冷蔵庫の所謂“三種の神器”をはじめとした家電製品や当時の雑誌、子供用玩具等が買い揃えられた。冷蔵庫6万200円、テレビ23万3000円だったと記録にある。

ところが昭和30年代半ば、じつはエネルギー革命の波がひたひたと迫っていた。

駆け出し記者だったそのころ、九州と同じ産炭地北海道で炭鉱問題を担当していたことがある。「つぎに潰れるヤマ(鉱山)はどこか」を取材するのが仕事だった。

エネルギー革命の嵐が牙をむき始めていた。軍艦島と同じ海底炭鉱であった釧路・太平洋炭鉱にもぐったこともある。

当時、「炭労(炭鉱労働者組合)に非ずんば人に非ず」といわれていた労働組合の勢いにも陰りが見えはじめていた。合理化の嵐の中、九州の三井三池、北海道の北炭夕張では崩落、ガス爆発などの炭鉱事故が頻発していた。

こうして、繁栄を誇った軍艦島は1974年昭和49)年1月15日閉山、同年4月20日に無人島となり、以降、立ち入りが禁止された。

“昭和の繁栄”はタイムカプセルの中で廃墟となった。ところが、三菱から島を引き継いだ長崎県が平成21年4月22日、島への上陸を解禁。30年ぶりに封印を解かれ、最近になって観光客で賑わいを見せている。

自然と時間の流れの中で風化した建物、アパートの部屋に残された家具、レトロな電化製品、これらは間違いなく「昭和のタイムカプセル」といえるだろう。

民間のプロジェクト(O Project)が製作したDVD「軍艦島オデッセイ」がパソコンで見ることが出来る。↓
参考: http://www.gunkanjima-odyssey.com/

軍艦島は、「黒い石から黒い液体への転換」というエネルギー革命のドラマのエピローグの象徴でもある。

写真展は、時代の変遷が演出する残酷さを、深く胸に迫るものであった。
20100508



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