2010年05月21日

夕刊◆そして、日本をどうしたいのか

石岡 荘十

本メルマガ5月5日で「そして誰もいなくなるのか」という表題で、鳩山政権に“やめろコール”を連日浴びせかける気持ちは分かるが、「辞めた後、こいつにやらせろ」と具体的な個人名を挙げず、ひたすら辞めさせれば世の中がよくなるような論調を展開するのは、“後出しジャンケン”のようなもので、「フェアではない」という論旨の拙見を披露した。

「辞めろ」というからには、「辞めさせてどうする?」を聞きたいので
ある。↓http://www.melma.com/backnumber_108241_4842025/
問題を提起したつもりであった。

しかし、こんな拙文が百戦錬磨の政治プロの心に共鳴するはずもなく、ヤメロコールは口啼疫にかかった牛のよだれ状態である。

だがその内容のほとんどは、あちこちのマスコミやウェッブの引用、書き写し。コピー・アンド・ペースト(コピペ)で、書く人の独自の視点に遭遇するラッキーチャンスは滅多にない。だらだらの垂れ流しで私は苛ついている。

ヒマにあかせて新聞、テレビを“ながら視聴”、読み飛ばしをしている私には、2次・3次情報がほとんどである。物書きにはあるまじきまるで自分が見てたきたような断りなしの断定的な孫引きも散見する。

だから最近は、国の行く先を思いパタパタ、キーボードをタッチしているであろうライターや、政治問題のプロの尻馬に乗るど素人の皆様には申し訳ないが、“ナナメ読み”。うんざりである。

仮に、おおかたのプロの方々が主張しておられるように、ハトが飛び立ちイチが遂に沈んだとき、このときのこの国を私たちど素人はどう描いたらいいのでしょう。

総理大臣が投げ出して、日替わりのお子様ランチのように毎年、旗がすげ替えられた。つい先だってその歴史を私たちは忘れていない。ハトを辞めさせて、その愚をまた繰り返そうというのか。

毎年首をすげ替える日本を世界はどう見ているのか。気になる。そんな視点の読者の懸念を解消する記事をまだ発見していない。

未来を創造するためにいま物書きは何を書くべきか。ヒントは間違いなく過去を検証するところから始まる。過去は「事実」そのものであり、「未来」は過去に学んだ叡智の結晶であるべきだと私は思っている。

歴史は繰り返すが、人生100年としてもその程度では、アッというほど過去を陵駕する人知の進化は無理だからだ。

と考えると、いま毎日読む数々の“力作”は過去と現在をなぞっているだけで、未来への展望にヒントを提示していないのではないかと考え、あせる。

「なんでも反対」と批判されていたあの党といまや似た“プロ”の論調に眉をしかめている。このあと自分の老い先を秒単位でカウントできる年齢となった。だから何かにつけせっかちになりがちだが、出来るかぎり見届けたいと思う。この国が好きだから。

「立てば這え、這えば歩けの親心」と言うじゃないですか。政治評論のプロは多分、憂国の士だろう。ならば国のリーダーを育てるプロであってほしい。

私たち政治のアヤが分からない素人に、「辞めさせて、その後この人にこういう政治をやらせよう」と、それこそ国の行く末をご提案いただいて、私たちを鼓舞してほしいのである。

若い人たちに、いまはこんな国だけど、「ここが素敵、だから日本を愛して」と言えるメルマガを読みたいのである。字を読めるようになった子どもたちにこれでは愛国心を説くことは出来ない。日の丸掲揚を紙面で説いたって、子どもたちはオリンピックの金メダルの歌だと思っているだけだ。

ハトやイチを血祭りにあげたあとの後釜を提示しない。「そして誰もいなくなった」ではまずいでしょう。首なし幽霊。日本をそんな首相のいない国にしたいのですか。

重ねて訊きます。辞めさせた後、どんな首を据えますか。
         20100519

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