2010年05月25日

◆1960年チリ地震津波

渡部亮次郎

昭和35(1960)年5月24日未明、突然、契約タクシーにたたき起こされた。津波がきて大被害が出ている、至急、局へ」というNHKからの伝言。地震も無いのに、津波とは、何事かい。

NHKに記者として採用され、仙台中央放送局に着任して間もなく1年。そろそろ東北管内のどこかのローカル局への転勤が噂に上っていた。局から歩いても5分ぐらいの民家の6畳間に下宿していた。

五月24日未明に最大で6メートルの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142名が死亡したのだった。岩手県大船渡市では53名、宮城県では志津川町(現・南三陸町)では41名が死んだが、それらがはっきりするのは数日経ってからのこと。

私は単身、録音機を持って女川町(おながわまち)に派遣されることになり局の車で向かった。途中、国鉄塩釜駅の前を通りかかったら、跨線橋の上に漁船が載っていた。津波はこんな高さにまで
達したのか。

後で聞けば、前夜、塩釜には同僚のカメラマンが別の取材に訪れて
1泊。だが、津波と聞いても暗くて何も分からず、全く撮影しなかった。この男は、これが祟って出世できないまま、60前に死んだ。

女川に着いたが、時折、津波がまた、やってきたという声がして人々は海を横目に高台に逃げる。

そのどよめきを録音しながら私も逃げる。その繰り返し。録音機は空回りして、何も録音されてなかった。2,3日経って赤痢が集団発生。その原稿を電話で送る私も発症していた。大館通信員時代についで半生、2度目の赤痢だった。


チリ地震は表面波マグニチュード(Ms)8.5、モーメントマグニチュード(Mw)9・5と有史以来観測された中で最大規模の巨大地震である。最大震度は気象庁震度階級では震度6相当とされている。

1960年5月22日15時11分20秒(現地時間。日本時間では5月23日4時11分20秒)、チリのヴァルディヴィア近海を震源として発生した地震である。地震後、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来し、大きな被害をもたらした。

まず前震がM7.5で始まりM7クラスの地震が5〜6回続いた後、本震がMs8クラスで発生した。また余震もM7クラスであったために首都のサンティアゴ始め、全土が壊滅状態になった。

地震による直接的な犠牲者は1743名。負傷者は667名。

この地震によりアタカマ海溝が盛り上がり、海岸沿いの山脈が2・7m沈み込むという大規模な地殻変動も確認された。また有感地震が半径約1,000kmという広範囲にわたって観測された。

史上初の地球自由振動の観測に成功し、アメリカでの観測で発生した地震波は地球を3周した事が確認された。

尚、本震発生から15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、約15時間後にはハワイ諸島を襲った。ハワイ島のヒロ湾では10.5mの津波を観測し、61名が死亡した。

各地の津波到達時間日本では地震による津波の被害が大きかった。地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6メートルの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142名が死亡した。

津波による被害が大きかった岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町(現・南三陸町)では41名、北海道浜中町霧多布では11名が死亡。

この浜中町では8年前の1952年の十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度目の市街地壊滅。街の中心でもある霧多布村がこのチリ地震津波により土砂が流出し北海道本島より切り離され島と化した。

現在は陸継きだった所に2つ橋が架けられており、北海道本島と行き来が出来る。1つは耐震橋、もう1つは予備橋で橋が津波で流出する恐れがあるためと避難経路を2路確保するためである。

また、同じく度重なる津波被害を受けた田老町(現・宮古市)では高さ10メートルの巨大防潮堤が功を奏して人的被害は皆無であった。

この田老町の防災の取り組みを取り入れ浜中町に防潮堤が建設される。北海道の防潮堤については後の北海道南西沖地震でも津波による人的被害の甚大な奥尻島などでも建設された。

地球の反対側から突然やってきた津波(遠隔地津波)に対する認識が甘かった事が指摘され以後、気象庁は日本国外で発生した海洋型巨大地震に対してもハワイの太平洋津波警報センターなどと連携を取るなどして津波警報・注意報を出すようになった。

あれから丁度50年後、チリ中部沖で2010年2月27日3時34分(現地夏時間; 6時34分 UTC)に地震が発生した。1900年以降、チリでは1960年5月のチリ地震に次ぐ規模、世界でも5番目の規模の地震となった。

日本では、2月28日午前8時30分に気象庁が会見を開き、かつてのチリ地震で最大6mもの大津波を受けて甚大な被害を受けた歴史的経緯もあり、大津波警報を三陸沖に発表するといった内容を伝えた。

時間は、「午前9時を過ぎればいつでも発表できるようにする」として、当初の予定を大幅に前倒しすることも示唆した。しかし人的被害は全く無かった。海苔ひびや牡蠣いかだの被害は大きかった。

気象庁は同日の会見で、津波の予測が過大であったとし、警報・注意報が長引いたことを謝罪した。ただし最悪のケースを想定したもので、判断ミスはなかったとした。2010・5・24

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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