2010年07月03日

◆牛蒡(ごぼう)の伝説

渡部 亮次郎

「ごぼうの根の部分を野菜として利用するのは日本と朝鮮半島だけの特徴であり、葉の部分を野菜として、根や種の部分は漢方薬として使用されることが多い」(「ウィキペディア」)。

だから「戦時中、西洋人の捕虜に、きんぴら牛蒡を食わせた収容所長が、戦後、戦争裁判で『捕虜虐待』の罪に問われ、絞首刑になった」と言う話を、何かで読んで、信じていた。

だが「ウィキペディア」によると、話は確定的な証拠がなく、どうも不確かな『伝説』に過ぎないようだ。

牛蒡にまつわる食文化の違いがもたらした悲劇的な逸話として、「戦時中、外国人捕虜にゴボウを与えたところ、木の根を食べさせたと誤解され、戦後にBC級戦犯として虐待の罪で処罰された」というものがある。

小中学校でよく読まれる「はだしのゲン」でも言及されているため(はだしのゲンでは山牛蒡と記述されている)、この逸話は小中学生の間でも比較的知られている。

しかし実際には、この逸話には曖昧な点が多い。「らしい」「と読んだ」などと伝聞調に語られることが多く、話す人によって、内容(場所、捕虜の国籍、量刑、処罰された人数など)が食い違っていることが珍しくない。

また、牛蒡を食べさせたことそのものを直接の原因として処罰されたとする裁判記録などは見つかっていない。

この逸話は、特に東京裁判に批判的な立場から、一方的な復讐裁判の好例としてしばしば取り上げられている。

この逸話についての最も古い記録の1つが、1952(昭和27)年12月10日に行われた第15回国会参議院法務委員会での、当時の法務省保護局長の齋藤三郎の答弁である。

「一例としては、俘虜収容所の所員が、「終戦真際食糧が非常に不足している。併しこれに対してできるだけいい食物を与えたいというので牛蒡を買つて来て食わした。その当時牛蒡というのは我々はとても食えなかつたのだ。

我々はもう大豆を2日も3日も続けて食うというような時代で、牛蒡なんてものはなかなか貴重品であつた。その牛蒡を食わしたところが、それが乾パン代りに木の根を食わして虐待したというので、5年の刑を受けたという、こういう例もあるのだという話をしましたが、(…)」

しかし、具体的に誰が処罰されたのかなど、詳しい情報の出所はここでは述べられていない。

この翌年の昭和28年7月2日の参議院厚生委員会では、日本社会党の藤原道子が、「牛蒡を食べさしたものを木の根を食べさせたのだということで25年の禁錮を受けておる」と答弁しており、この時点でも既に量刑の内容が異なっている。

上坂冬子(故人)の著書『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』では、新潟県の直江津町(現上越市)にあった東京俘虜収容所第4分所の所長らが、終戦後、収容されていたオーストラリア人捕虜達から「木の根を食べさせられた」という告発を受けた。

うち所長を除く8名が裁判で絞首刑となった、という具体的な記述がある(ただし、牛蒡を食べさせたことが直接の原因かどうかは書かれていない)。

朝日新聞の連載記事『地球・食材の旅』の1996年11月10日掲載分に、長野県下伊那郡天龍村にあった東京俘虜収容所第12分所(満島捕虜収容所)に勤務していた警備員1名が無期懲役の判決となり、その裁判中に牛蒡を食べさせたことが虐待として扱われた、という話が掲載されている。

ただし、この警備員はまもなく釈放されたといい、実際に本人に取材を行ったがこの話については語ってくれなかった、と述べられている。

相馬暁は著書『野菜学入門』の中で「アメリカ人捕虜に牛蒡を食べさせたために、昭和21年に、横浜の戦犯裁判で捕虜収容所の関係者の、2人が死刑、3人が終身刑、2人が15年以上の有期刑の判決を受けた」と述べているが、それ以上の詳細については触れていない。

村山有が、捕虜に牛蒡を差し入れたことを理由に戦犯容疑者としてGHQに逮捕された、という話がある。

清瀬一郎(東京裁判の弁護士で後に衆議院議長)の著作『秘録東京裁判』の中には、「ある捕虜収容所」のケースとして、「牛蒡をオックス・テイル(牛の尾)、豆腐をロツン・ビーンズ(腐った豆)と誤訳したため、捕虜から不満が出た」という話が述べられている。

漫画 『はだしのゲン』では、「捕虜にヤマゴボウを食べさせて25年の重労働を課された」という話が、映画『私は貝になりたい』では、「牛蒡を食べさせて5年の懲役を受けた」という話が出てくる。

ごぼう抜き ―『広辞苑』(第5版)には、「(牛蒡を土中から引き抜くように)一気に抜きあげること」とあるが、これは厳密には間違いである。

というのも、ゴボウはそれ自体が長く、根毛も多い。土との接触面積が大きく摩擦も大きいため、するっと抜くことができないからである。

事実、農家では、ゴボウは「抜く」ものでなく、「掘る」ものと認識されている。この言葉はむしろ、抜きにくいゴボウを一気に抜くことができるほどの力を持っている、という意味で用いるほうが正確であろう。ゴボウの太い根は一株に一本なので、多数抜き去ることの比喩に用いるのは誤用といえる。

なお、「ごぼう抜き」という言葉には、座り込みなどを行う人物を力ずくで排除するという、原義に近い用法もある。

ごんぼ(牛蒡)堀り ―青森県と秋田県の方言に「ごんぼほり」(牛蒡堀り)というのがある。ぐずぐず不平を言って譲らない、酔ってくだを巻く(時に居座る)、強情である、ふてくされる(特に子供)、といった態度(あるいはそのような態度の者)ぐらいの意。なだめたり、お引き取り願うことはゴボウを「掘る」ことと同じくらい難儀であることから、であろう。

太平洋でごぼうを洗う ―男女の性交において、女性の膣の締め付けがゆるいと同時に、男性の陰茎が細いため、男女とも十分な満足感が得られないたとえ>。2010・5・18
出典:「ウィキペディア」

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