2010年07月07日

◆作詞家岩谷時子94歳

渡部 亮次郎

ラジオ深夜便が作詞家岩谷時子(いわたに ときこ)特集をやった。昔からとてもセンスの良い詩を沢山書いてきた人。越路吹雪のマネジャーをしながらザ・ピーナッツ『恋のバカンス』や加山雄三『君といつまでも』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』、園まり『逢いたくて逢いたくて』など数多くのヒット曲を生み出してきた。

大正5(1916)年3月28日うまれというから、すでに94歳ながら独身、帝国ホテル住まいを続けて現役。もっと詳しく知りたくて、検索に「岩谷時子の近況」と入れたら「岩谷時子さんから元気をもらう」 2006/07/2909:12 と言うのに出会った。

産経新聞で「正論」の名編集長と言われた大島信三さんのブログだった。ジャーナリスト。新潟県出身。平成21年1月末、編集委員を最後に産経新聞社を退社。とある。4年前のエントリであるが、貴重な「近況」が探れる。

<いま、朝食を終えた食卓で、小学館から月に2回発行される、雑誌『サライ』8月3日号を開いている。新聞の広告で、銀座の特集を組んでいるというのを知って、書店で買ってきた。

目次をみると、なるほど、銀座大特集のオンパレードだ。しかし、最初に見たのは、冒頭のインタビュー欄。作詞家の岩谷時子さんが、登場している。まさか、ここで岩谷さんの近況を知るとは、思いもよらなかった。雑誌というのは、こういうハプニングがあるから楽しい。

岩谷さんに、お会いしたことはないが、昔、電話で随筆をお願いしたことがある。そのとき、いただいた手紙を、いまも大切に保管している。

「作詞を続けて半世紀以上。『お嫁においで』『恋のバカンス』など、世代を超えて歌い継がれる数々の名歌を世に送り出してきた」というキャプションのついた90歳の岩谷さんの写真は、とても若々しい。

現在(06年7月29日)は、日比谷の帝国ホテルに住んでいる。そういえば、オペラ歌手の藤原義江も帝国ホテル暮らしだった。

岩谷さんのご自宅は大田区にあり、3年前までは、週末だけ帝国ホテルに泊まって集中的に仕事をしていたが、なにかと便利なので、いまはすっかりホテル生活者。自宅には、めったに帰らないとか。

「世に送った作品は1300曲以上。気力と好奇心は、今も健在」と前文にある。昨年(05年)春、岩谷さんは、階段で転び、大怪我をした。医師たちは、自力で歩くのはむつかしいだろう、退院しても車椅子が必要になるだろう、と思っていたらしい。

岩谷さんは、心のなかで「絶対に歩けるようになる」と。「やっぱり気力が大切ですね。悩んでも、なにも解決できないと思ったら、頭を切り替えて、悩むというエネルギーを前向きな方向に使うことです」と語る岩谷さんは、いまなお現役の作詞家として創作活動をつづけているのだ。けさは、岩谷さんから、元気のもとをもらったような気分で清々しい。

岩谷さんは、越路吹雪のマネージャーだった。「彼女から報酬をもらったことはありません。だから、越路さんは、わたしのことを欲のない世話好きのお姉さんと思っていたんじゃないかしら。

わたしにしてみれば、彼女は世話のやける妹でしたけどね」(笑い)と、岩谷さんは、インタビューで語っていた。

ひとり娘の岩谷さんが、お嫁に行ったら、寂しくなると、親は結婚をすすめなかった。恋や愛の歌も、体験からではなく、想像の産物。

「その点、越路さんは、恋多き女で、彼女が昭和34年に結婚するまで、わたしがずっと恋の使者でした。恋が終わるときも、相手の方に引導を渡しに行かされる。

最初はお互い好きで心を寄せながら、別れのときがくる。すると、相手につらい思いをさせたと越路さんは悩んで、わたしに行ってくれってことになるんです。でも、相手の男性はみな、“時子さんも大変やなあ”と気遣ってくれまして」

帝国ホテルのとなりは日生劇場。昔、ここで越路吹雪の歌を聴いた。あのボリュームあふれる、歌声も懐かしい。>

<越路吹雪と歩んだ半生

1916年京城(現在のソウル特別市)生まれ。5歳の頃に西宮市に移住。市立西宮高等学校を経て神戸女学院に進学。1939年神戸女学院大学部英文科卒業後、宝塚歌劇団出版部に就職。月刊誌『歌劇』の編集長を務めた。

そうした中、偶然編集部にやってきた当時15歳の越路吹雪と出会う。二人は意気投合し、越路の相談相手となる。

越路が宝塚を退団して歌手になりたいと相談したとき、岩谷も退職を決意。上京し、越路の付き人を務める。

1951年から1963年までは東宝文芸部に所属。会社員として働く傍らも越路をサポートし、越路が死去するまでの約30年間、マネージャーとして強い信頼関係で支え続けた。

しかし、あくまで「越路が好きだから支えていた」という岩谷は、越路が亡くなるまでマネジメント料としての報酬は1円も受け取らなかった。(※第29回菊田一夫演劇賞授賞式において、岩谷時子を演じた高畑淳子が証言)

マネージャーとして活動する一方で、越路が歌うシャンソンの訳詞を手掛けたのきっかけとして作詞家・訳詞家としても歩み始める。ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』や加山雄三『君といつまでも』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』、園まり『逢いたくて逢いたくて』など数多くのヒット曲を生み出してきた。

一方、オリジナルの詞にとらわれず独自の解釈で詞を当てることもある。例としては、エディット・ピアフが歌った「愛の讃歌」は元の歌詞が「愛のためなら盗みでもなんでもする」という背徳的な内容であるのに対し、岩谷訳詞では一途な愛を貫くという賛歌となっている。

ミュージカル『ミス・サイゴン』の訳詞を手がけたことがきっかけで、同作品に主演した本田美奈子と親交を深める。本田の才能を「越路の再来」と高く評価し、数多く詞を提供した。

偶然にも、本田が死去する直前、足を負傷して本田と同じ病院に入院。ボイスレコーダーを通して、当時無菌室に入っていた本田を激励した。

2009年7月7日『一般財団法人 岩谷時子音楽文化振興財団』を立ち上げる。

2009年10月、文化功労者。<「ウィキペディア」)2010・7・4

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