2010年07月14日

◆検閲を欺いた服部良一

渡部亮次郎

検閲(けんえつ)制度を知らない世代が多くなった。「何しろ戦前、戦中は検閲制度の為、出版の自由なんか無かったし、演歌だって物によってはレコードが発売禁止にされたのだ。

そんな時代があったんだ」と言っても理解できない人が多くなった。何でも自由は結構な時代だが、その分、放埓な世の中になっていることも事実である。

検閲は江戸時代には江戸幕府によって、戦前・戦中には内務省などによって、敗戦後の連合国占領下には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)によって行われた。

検閲は大きく分けて事前検閲と事後検閲の2種類あるが、日本において行われたものの多くは事前検閲である。現在の日本において、検閲は日本国憲法によって禁止されている。

敗戦前まではレコードは取り締まられた。製品は解説書2部を添え、規定された様式にしたがって内務大臣に差し出して許可を要し、検閲上の取締方針は出版物と同様であった(明治26年4月法律15号、昭和9年7月内務省令17号)。

「夜のプラット・ホーム」、「湖畔の宿」などがひっかかった。「夜のプラット・ホーム」は、奥野椰子夫作詞、服部良一作曲の歌謡曲。

1947(昭和22)年に二葉あき子が歌って大ヒットし、彼女の代表的なヒット曲の1つに挙げられる歌であるからNHKは戦後の歌に区分けしているが、もともとは戦時中、淡谷のり子が吹き込んだものであった。

「湖畔の宿」作詩 佐藤惣之助だが、作曲はやはり知恵者服部良一。
昭和15年の作品。女優高峰三枝子が歌った。発売禁止になったときはレコードは津々浦々に普及してしまって発禁の被害は余り無かった。役人仕事は戦時中も今も変わらない。榛名湖ガモデル。

1 山の淋しい 湖に
  一人来たのも 悲しい心
  胸の痛みに 耐えかねて
  昨日の夢と 焚き捨てる
  古い手紙の うすけむり


2. 水にたそがれ 迫る頃
  岸の林を 静かに行けば
  雲は流れて むらさきの
  薄きすみれに ほろほろと
  いつか涙の 陽が落ちる


(台詞)
   「ああ、あの山の姿も湖水の水も、
   静かに静かに黄昏れて行く……。
   この静けさ、この寂しさを抱きしめて
   私は一人旅を行く。
   誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて、
   幼な児のような清らかな心を持ちたい。
   そして、そして、
   静かにこの美しい自然を眺めていると、
   ただほろほろと涙がこぼれてくる」


3. ランプ引き寄せ 故郷へ
  書いてまた消す 湖畔の便り
  旅の心の つれづれに
  ひとり占う トランプの
  青い女王の 淋しさよ


「夜のプラット・ホーム」は当初は1939(昭和14)年公開の映画『東京の女性』(主演:原節子)の挿入歌として淡谷が吹き込んだが、中国戦線へ出征する人物を悲しげに見送る場面を連想させる歌詞があるとして、戦時下の時代情勢にそぐわないと検閲に引っかかり、同年に発禁処分を受けた。

その2年後の1941(昭和16)年、「I'll Be Waiting」(「待ちわびて」)というタイトルの洋盤が発売された。作曲と編曲はR.Hatter(R.ハッター)という名前の人物が手がけ、作詞を手がけたVic Maxwell(ヴィック・マックスウェル)が歌ったのだが、この曲は『夜のプラットホーム』の英訳版であった。所謂「輸入の洋楽盤」だから検閲の対象にならなかった。

しかもR.ハッターとは服部が苗字をもじって作った変名で、ヴィック・マックスウェルとは当時の日本コロムビアの社長秘書をしていた、ドイツ系のハーフの男性の変名であった。服部の方が、検閲官より頭が良かった。さすが大阪人。息子が服部克久でやはり作曲家。

この曲は洋楽ファンの間でヒットして、当時を代表するアルゼンチン・タンゴの楽団ミゲル・カロ楽団によってレコーディングされた。


敗戦後、新憲法が制定されて検閲は禁止になったはずだったが連合国軍による占領下でGHQによる検閲がおおっぴらに行なわれた。                                    

1945(昭和20)年に、「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16、9月10日)や「日本ノ新聞準則ニ関スル覚書」(SCAPIN-33、9月21日)(いわゆるプレスコード)等を発出した。

民間検閲支隊により日本のマスコミなどへの事前検閲や事後検閲を行い、反占領軍的と判断した記事(占領軍兵士による犯罪なども含まれた)などを弾圧して全面的に書き換えさせた。

これらのGHQによる行為は個人の手紙や電信電話にまで及び、検閲は隠匿され日本国憲法施行下にあっても強力に実行された。犯人とか容疑者を米国人と分かる書き方は禁止された。

しかし、検閲に協力した人々の証言がほとんどないためその実態には未解明な部分も多い。

文学評論家の江藤淳は戦後の占領政策における検閲の方針(江藤はこれを「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム<戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画>」と称している)と関連する資料を明らかにし、占領期はGHQによる検閲と一般人の目に見えない自己検閲によって自由な発言ができず、閉鎖された「言語空間」が形成されたことを解明している。

日本国憲法第21条第2項前段において検閲は明確に禁止されている。「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2010・7・5




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