渡部 亮次郎
パソコンを開けるたびにまずうんざりする。数え切れないほどのエロメール。なんとか出会いサイトとやら。アメリカも似たようなものらしく、NYに住んでいる友人(日本人)はとうとうパソコンを閉じてしまった。
とうとう目を疑った。「"飲む"打つ"買う"・・・現代はプラス"寝る"遊ぶ男のエンターテイメント」。昔は「買う」のは女郎だった。だから「飲む(酒)打つ(博打)買う」といえば放蕩の3拍子。「手がつけられねえ、嫁は世話できねぇ」となったものだ。
それが今の若者にかかると3拍子に「寝る」が加わるという事は何を買うというのだろう。宝石か何かか。日に何十通と来るこの種エロメールの頭の程度の低さ。嘆くばかりである。
「買う」をなくそうと政治家は戦後、"苦労“した。外地から引き揚げてきた人、大都会でアメリカ軍の空襲により焼け出された人々らによって日本各地に売春宿の蔓延したのが敗戦直後。
戦後初めて国会進出をGHQ(占領軍)によって許された婦人国会議員。彼女らが史上初めて声を大にして叫んだのが売春禁止!人身売買反対!。業者は男性国会議員に現ナマを渡して法案の骨抜きを策す。
インターネットでと探すと「中日ニュース」に出ている。”売春汚職”大詰めへ
<犯罪の防止と受刑者の処遇に関して国連第2回アジア会議がこの程東京でひらかれ、アジア地域から16ケ国670名が集り、2週間に亘る会議の幕をあげました。
わが国からは、唐沢法務大臣をはじめ花井検事総長石井警察所長らも出席、人身売買や売春汚職について意見が交わされました。こうしたなかで売春汚職を追及中の東京地検では政界への”第3弾”として自民党の首藤代議士を収贈容疑で任意同行を求め、大阪から急行”いずも”で東京に連行されました。
然し、東京駅での混雑を避けるため一行は横浜で下車、車をリレーして東京に向いましたが、通常国会を前に捜査もいよいよ核心に入りました。龍頭蛇尾に終りたくないものです。(1957年)>
怖れていた通り、事件そのものよりも、法案の処理が龍頭蛇尾に終わり売春を「禁止」するのではなく「防止」と逃げ道を作ったため、売春そのものはなくならなかったどころか、パソコンにまで侵入していること、上述の通りである。
筆者の住んでいる地域にある私立幼稚園の創立者こそは嘗て売春汚職で挙げられた代議士だったが、立派な胸像が幼稚園の玄関に飾られ、岸信介首相による紹介文に売春の文字はもちろん無い。
卒業式で校長がめでたい席なのに校長が卒業生を貶したので驚いた。「卒業証書 右のモノは本校の云々・・・」
これは「右は」と読むべきを校長、漢文を習っていない世代なものだから恥を晒しているのである。
「者」という字は「は」と読む場合があるのだ。楚者と書いて「そば」と読ませている蕎麦屋を見かけるのはそのためである。「右者・・・」と書いて「右は・・・」と読んだのだ。
それを戦後しばらくして高校の授業から漢文を無くすか減らすかしたために「右しゃ」と読んだり、遂には「右の者」と読むに至った。相手を「右のもの」とは誠に失礼な話だ。
「陳者」は「のぶれば」と読む。昔の上流は人を宴席に招待する時はわざわざ書状を発した。巻紙に毛筆でしたためた。時候の挨拶を冒頭にしるしたあと、いまなら「つきましては」という意味で「陳者(のぶればーーさて、申し上げますが)」としるしたのである。1970年代の日本外務省では使っていた言葉だ。
入学式では「まだ未熟者」オンパレードだった。生徒も先生も「まだまだ未熟者」の連発。未熟と書いて「いまだ熟さず」と読むのが本当だから「未熟者」にはすでに「まだ」が含まれている。
まだ未熟といえば2重に未熟をいうことになる。まちがいである。いいたいなら依然、未熟者ですがとかなんとか工夫したほうが良い。
もっとも先生よりは言葉に経験が深そうなNHKの国井雅比古アナウンサー(東大卒)ですら、ラジオ深夜便初出演の4月11日午前3時台で「まだ未開発だった」と言っていたから、未熟者は安心してしまう。
そういえば朝日新聞にも、まだ未熟は時々登場する。漢文を高校でならって居るころ、古色蒼然たる教師は「そのうちに馬から落馬した、などという輩(やから)が出現するだろう、とのたもうたが、あながち外れともいえぬ時代がやってきた。