2010年09月11日

◆両刀遣いの記者はいない

渡部 亮次郎

産経新聞のワシントン、北京、ソウルの責任ある記者はいずれも他社から引き抜いてきた一騎とうせんの大記者である。定年を既に過ぎながら、そのまま頑張っている。

英語、北京語、韓国語に堪能なだけでなく、駐在期間が長いだけ、各界への人脈が豊富。他社の追随を許さない。

特に政治分野の取材。日本とは違って、役人のテーブルに勝手に近付くことは不可能。政治家へのインタービューなど容易なことではない。

アメリカの役人は誘い出しても、夜の会食には殆ど応じない。よほど仲良くなったら、昼食を共にしながら情報提供に応ずる事はありうるが、そういう役人を複数作った頃には本社から帰任命令がくるから、元の木阿弥だ。

本社が、何ゆえに、馬鹿なことをするかというと、海外に出たいという希望者が待ちきれないからである。

外信、外報記者予備軍は、人事部が毎年、採用し、一般的な取材や執筆などの訓練を施すために地方支局や放送局に配属する。数年経ったところで東京本社に帰し、まず外務省を担当させる。

1年か、2年で、海外支局に派遣する。そうしない事には一人前の海外取材記者に育たないからである。逆に前任者は、現地で折角創り上げた人脈をごっそり捨てて、本社に帰任する。

本社で何をするか。デスクに坐って「翻訳」をするしかない。そんなつまらない事をしながら、再度、外国に出るのを待つのである。痺れが切れた頃、再度既任地へ。

日本の外信、外報記者の不合理ともいえる、配置換えにはこうした裏事情があるのだ。

「外国語が達者」だから入社したとはいえ、次に外国へ出るまでは政治、経済、事件記者でもやったほうが良さそうなものだが、遣らせないし、やろうともしない。

意地悪い観察をすると、外国語の達者な記者ほど、取材力もそれほどかというと、残念ながら、そうでもない人が多い。勿論、両方とも優れた人はいて、産経新聞にスカウトされた人がそうだったのだろう。

日本外務省でいわれていたことは、外国語に極めて優れた能力を持っている奴は事務次官にはなれないということだった。現在ではどうか知らないが、要するに語学は暗記能力。事務次官は判断能力。

左脳と右脳のことを言うのだとか。

複数の外国語を操るキザな元キャスター。外報部長をさせたところ、部下をえこひいきばかり。人事管理能力の無さは「脳足りん」といわれたが、有ろうことか局長になって周りをびっくりさせたもの。

会長の死後、遺品を整理したら「私に管理能力はあります。どうか局長にして下さい」という自薦の手紙が何通も出てきて謎が解けた。

鬼といわれた会長もゴマスリに弱かった。局長は中途で外に飛び出し、巷に埋没した。

余談だが、中国のような建前が共産主義体制の国での取材となれば、行きたいところにも行けない。制限ばかりで自由が全く無い。加えて仮に当局の機嫌を損ねれば、国外追放となり、二度と中国に入国する事は永遠に不可能になる。メシの食い上げだ。

若い頃、命を削るようにして覚えた言葉が、無用の長物にはてて仕舞う。わが国の中国駐在記者たちが、どんなに日本の読者に批判されても、「面白い」記事を送ってこれるわけがないのである。

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