2010年11月20日

◆トウ小平の刺身以後

渡部 亮次郎

中華人民共和国の人は、肝臓ジストマを恐れて,生の魚は食べないが、トウ小平氏は初来日(1978年)して刺身を食べたかどうか、従(つ)いて来た外相・黄華さんが1切れ呑み込んだのは現認した。そんな中国が最近は刺身の美味さを知り、マグロの大消費国になった。

元は琵琶湖に次ぐ大湖沼だった秋田県の八郎潟。今はその殆どが干拓されて水田になっているが、私の少年時代はこの八郎潟が蛋白質の補給源だった。

鯉、鮒、鯰(なまず)、白魚など。またそこに注ぐ堰で獲れる泥鰌や田螺(たにし)も懐かしい。但し、これら淡水魚には肝臓ジストマがいて危険だとは都会に出て来るまで知らなかったが、地元では理由もなしにこれら淡水魚を生では絶対食わさなかった。

そのせいで私は中年を過ぎても刺身が食べられず、アメリカへ行って日本食好きのアメリカ人たちに「変な日本人」と言われたものだ。

62歳の時、突如食べられるようになったのは、久しぶりで会った福井の漁師出身の友人・藤田正行が刺身しかない呑み屋に入ったので、止むを得ず食べたところ、大いに美味しかった。それが大トロというものだった。それまでは、鮨屋に誘われるのは責め苦だった。

ところで、肝臓ジストマ病は「広辞苑」にちゃんと載っている。「肝臓にジストマ(肝吸虫)が寄生することによって起こる病。淡水魚を食べることによって人に感染し,胆管炎・黄疸・下痢・肝腫大などを起こす。肝吸虫病」と出ている。

実話を語った方がよい。九州の話である。著名な街医者が代議士に立候補を決意した直後、左腕の血管から蚯蚓(みみず)のような生き物が突き出てきた。びっくりしてよく見たら、これが昔、医学部で習った肝臓ジストマの実物であった。おれは肝臓ジストマ病か、と悟り立候補を突如、断念した。

「おれは、川魚の生など食べたことはないぞ」と原因をつらつら考えても心当たりは無かったが、遂につきとめた。熊を撃ちに行って、肉を刺身で食った。

熊は渓流のザリガニを食っていて、そのザリガニに肝臓ジストマがくっついていたとわかった。しかしもはや手遅れ。体内のジストマを退治する薬はない(現在の医学ではどうなのかは知らない)。夢は消えた。

中国人は福建省など沿岸部のごく一部の人を除いて、魚は長江(揚子江)をはじめ多くの川や湖の、つまり淡水魚だけに頼っていて、肝臓ジストマの恐ろしさを知っているから、生の魚は絶対、食べなかった。

トウ小平と一緒に来た外相・黄華さんが東京・築地の料亭・新喜楽で鮪の刺身1切れを死ぬ思いで呑み込んだのは、それが日本政府の公式宴席であり、そのメイン・デッシュだったからである。食べないわけにいかなかったのである。

後に黄華さんも海魚にはジストマはおらず、従ってあの刺身は安全だったと知ったことだろうが、恐怖の宴席をセットした外務省の幹部はジストマに対する中国人の恐怖を知っていたのか、どうか。

中国残留日本人孤児が集団で親探しに初めて来日したのは昭和56年の早春だった。成田空港に降り立った彼らに厚生省(当時)の人たちは昼食に寿司を差し出した。懐かしかろうとの誤った感覚である。

中国人が生魚を食べないのは知っているが、この人たちは日本人だから、と思ったのかどうか。いずれ「母国でこれほど侮辱されるとは心外だ」と怒り、とんぼ返りしようと言い出した。

中国の人は冷いご飯も食べない。それなのに母国は冷いメシに生の魚を乗っけて食えという、何たる虐待か、何たる屈辱かと感じたのである。

最近では、中国からやってきた学生やアルバイトの好きな日本食の一番は寿司である。ジストマの事情を知ってしまえば、これほど美味しい物はないそうだ。催促までする。奢るこちらは勘定で肝を冷やすが。

よく「この世で初めて海鼠(なまこ)を食った奴は偉かった」といわれる。それぐらい、何でも初めてそれが毒でないことを確かめた人間は偉い。だとすれば淡水魚を生で食っちゃいけないと人類が確認するまで、犠牲者はたくさん出たことだろう。感謝、感謝である。

1972年9月、日中国交正常化のため、田中角栄首相が訪中した時、中国側が人民大会堂で初めて出してきたメニューは海鼠の醤油煮だった。田中さんより前に来たニクソン米大統領にも提供しようとしたのだが、アメリカ側に事前に断られたと通訳の中国人がこっそり教えてくれた。

以上を書いたのが確か2003年である。あれから中国は驚異的な経済発展を遂げた。それに応じて食べ物も変化し、都市では今まではメニューに無かった牛肉が盛んに消費されるようになった。それに伴って過食から来る糖尿病患者が相当な勢いで増えている。

問題の魚の生食についても2007年3月1日発売(3月8日号)の「週刊文春」57ページによると中国のマグロ販売量は、中国農業省の調査によると、2006年上半期だけで50%から60%も伸びている。

経済発展著しい中国が異常なスピードで鮪の消費量を増加させている事実は意外に知られていない。日本料理店ばかりでなく、北京や上海の高級スーパーにはパック入りの刺身や寿司が並ぶ、という。

共産主義政治でありながら経済は資本主義。物流が資本主義になれば食べ物は資本主義になる。肝臓ジストマが居ないと分れば中国人がマグロだけでなく生魚を食べるようになるのは当然だ。とう小平の現代化には5つ目があったのか。(再掲)

◆本稿は、11月20日(土)刊の全国版「頂門の一針」2101号に
掲載されました。
◆<2101号 目次>
・トウ小平の刺身以後:渡部亮次郎
・小沢一郎氏の政局観:古澤 襄
・仙谷さん、よく言った!!!:古森義久
・ローマ法王庁、再び中国に激怒:宮崎正弘
・小林観爾画伯と吉田屋:馬場伯明
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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  http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm



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