渡部亮次郎
江東区毛利2丁目に広がる都立猿江恩賜公園は、昭和天皇の婚約記念に下賜された南部と、木場だった北部地域からなり、私は北部だけを散歩コースとしている。
北部は樹木が多いから秋から冬にかけては落ち葉でいっぱいになる。特に欅(けやき)はうず高く積もる。ほぼ毎日のように掃除の業者がビニールの袋に詰めているが、詰めても詰めても翌日には積もっているのが秋だ。
12月にはいると欅は殆どの葉を落としてしまった。そこで20日過ぎには、清掃業者も人海作戦で根こそぎ集めて去った。ところが憚るのがプラタナス(鈴懸=スズカケ)である。いつまでも葉を落としきらず、広場を汚している。
公園では櫻が夏から葉を落とし始めて11月中には殆ど落葉。桂もそう。この公園特有の中国渡来、メタセコイアも針状の葉を12月までに落とし終える。だからプラタナスは憚って目立つのだ。
なるほど9月から落葉を始めはする。グローブのような大きな葉だ。
だが一斉には落葉しない。さすが11月ともなれば盛んに落ちるが、纏まっては落ちない。
落ち葉を片付ける係りの人。「大きな声では言えませんけど、欅の落ち葉はきれいだけど鈴懸は汚いんだよね。だから早く片付けたいんだけど、片付けても片付けても翌日には、また散らばってるんだ」とこぼしている。
プラタナス、別名スズカケノキはバルカン半島からヒマラヤまでの温帯に分布市。紀元前から既にイタリアに入った。16〜17世紀にはフランス、イギリスで街路樹に用いられた。
わが国に入ってきたのは明治の初め。東京の小石川植物園に植えられたのが始まり。秋に実る実が山伏の着る篠懸の衣についている房の形に似ているから「鈴懸」と日本語の名前が付けられた。
灰田勝彦の「鈴懸の径」という歌を若い頃歌った。鈴懸がプラナスとは知らなかった。
この歌は古い歌だが、実にモダンな歌だ。
この歌が発売されたのが、昭和17(1942)年9月というから、まさに戦争の最中。軍歌一色の時代によくもまあこんなモダンな歌が出たものだ。
<灰田勝彦「鈴懸の径」>
「鈴懸の径」
作詞:佐伯孝夫
作曲:灰田晴彦
友と語らん
鈴懸の径
通いなれたる
学校(まなびや)の街
やさしの小鈴
葉かげに鳴れば
夢はかえるよ
鈴懸の径
この単純とも言える歌詞。そこには戦争の影は無い。学徒出陣は昭和18年という。その前年に「友と語らん・・・」とは・・・。それさえも難しくなってきた時代を先読みしていたのだろうか? 戦争とこの歌詞に、何か違和感を感じる。
歌手灰田勝彦はハワイ・ホノルル生まれの二世だ。作曲は兄の灰田有紀彦(灰田晴彦)。灰田兄弟はハワイで父親が急逝したあと、帰国。勝彦は立教大学に入った。この歌は立教大学の道をモデルに作曲されたそうで、立教大学には歌碑がある。
幼少の頃育った秋田市に植わっていたかどうか記憶が無いが、東京の街路樹は公孫樹(いちょう)鈴懸、唐楓だから、鈴懸は馴染の木ではある。
しかし各地の街路樹は12月末になっても裸にはなっていない。猿江公園の鈴懸は年を越しても裸にはならないのじゃないか。
2010・12・21