2011年02月11日

◆スクープ建国記念「の」日

渡部 亮次郎

「2月11日 紀元節」が建国記念「の」日として甦るという原稿は私のNHK政治部における特種のひとつであるが、あの頃NYに赴任していた郷土
の先輩からは建国記念日ならともかく「の」の意味がさっぱり分からないと悪評だ。

結論を先に言えば、「の」が入ったからこそ当時の最大野党たる日本社会党が抵抗しなかったのである。当時の首相佐藤栄作氏は自民党内右派
を抑える為には「の」が入っても「2月11日」が事実上復活すれば満だった。

また社会党にしても紀元節復活に賛成したという直接的な痕跡を残さずに済んだので、その後「建国記念の日」には全く関心を示さなくなった
ので、結局この祝日は今日、影が薄い。

昭和41(1966)年の正月明け頃、就任間もない園田直衆議院副議長の部屋を訪ねた。私は盛岡放送局から東京政治部へ転勤して満1年。総理官邸担
当から衆議院担当に代わった。正副議長の伊勢神宮参拝に同行、帰京したばかりであった。

言うなれば、これをきっかけに園田氏と親しくなろうと押しかけたのであった。何の収穫も無かったが。前任の田中伊左次氏当時は、議長応接
室との出入りをふさいでいた本棚がどけられているのを見逃さなかった。「議長応接室で副議長が極秘の行動を取っている」しかし気づかぬふり
をして退出した。

園田氏は既に当選9回なのに未入閣。やっと掴んだ副議長のポスト。何かでかいことをやって初入閣を狙っている。だとすればなんだろう。衆院
の懸案として残っているのは「建国記念日法案」がある。紀元節復活に向けた動きは、1951(昭和26)年頃から見られ、1957(昭
和32)年2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。

しかし、当時野党第一党の日本社会党が「建国記念日」の制定を「神武天皇即位の年月は、歴史上、科学的に根拠が薄弱であり、今後学問的検
討を待って決定すべきではないか」

「過去において、神武東征の物語りが、征略国家として支那事変、大東亜戦争において利用され、偏狭なる忠君愛国の教育とも相まって、日本
の進路を誤まらせたものではないか」と反対し、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。

その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。

あれから既に10年近く野ざらしだ。これまた就任後間もない首相佐藤栄作氏は成立に意欲満々だ、という。

副議長室周辺をぶらついていると、議長室に入った社会党の国対委員長石橋正嗣氏が出るときは副議長室から出てきたではないか。

記者クラブ(衆院記者会)の他社の連中は全く気づいていない。だが園田副議長を中心にした自民、社会両党幹部による極秘の折衝は議長応接室
で続けられた。

結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体
的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。

1966(昭和41)年6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。

「建国記念の日」と定められた「2月11日」は、かつての祝祭日のひとつ、紀元節であった。紀元節は、『日本書紀』が伝える初代天皇である神武
天皇即位の日として、1872(明治5)年に制定された。

この祝祭日は、1948(昭和23)年に制定された「祝日に関する法律」附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたこと
に伴い、廃止された。

同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第2
条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなけ
ればならない」と定めた。

当の「建国記念日審議会」は、学識経験者等からなり、総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の
日」の日付を「2月11日」とする答申が1966(昭和41)年12月9日に提出された。

同日、佐藤内閣は「建国記念の日は、二月十一日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を定めて公
布し、即日施行した。

ここに至るまで建国記念日審議会は 総理府の附属機関として1966(昭和41)年7月11日発足、同年12月15日限り廃止(委員定数10人以内)

同年7月28日から12月8日まで計9回の会議を開催し、12月9日付けで内閣総理大臣宛て「二月十一日」とする答申(個別意見付記)

第5回会議は「建国記念の日に関する公聴会」として同年10月24日、仙台、東京、大阪、広島で同時開催(委員2人ずつ参加)答申には、会長・会長
代理の職に関係なく委員が五十音順で記載

委員]
菅原通濟(会長。全回出席。2月11日)

吉村正(会長代理。全回出席。2月11日)

阿部源一(第5回会議のみ欠席。祝日化は望ましくない。強いて挙げるなら1月1日が無難)

大宅壯一(第2回会議のみ出席。最終の第9回会議直前に辞任のため答申に個別意見記載なし)

奥田東(全回出席。立春の日。人間社会でなく国土に重きをおくべき)
桶谷繁雄(第1回会議のみ欠席。2月11日)

榊原仟(全回出席。2月11日)

田邊繁子(第6回会議のみ欠席。2月11日)

舟橋聖一(全回出席。2月11日。政府の行事としないことが条件)

松下正壽(第1・2・6回会議のみ欠席。2月11日)

建国記念の日に関する世論調査

建国記念日審議会の依頼により内閣総理大臣官房広報室が実施。昭和41年11月30日付け官報資料版No.449掲載

各党案(自民党:2月11日、社会党:5月3日、公明党:4月28日、民社党:4月3日)等を選択肢に加える。

同年9月29日から10月6日まで全国の20歳以上の男女1万人を対象(有効回収票8,700)、社団法人中央調査社の調査員による面接聴取

同年11月4日の第6回会議に報告。

1.2月11日(もとの紀元節の日):47.4%(4,124)

2.いつでもよい:12.1%(1,053)

3.5月3日(憲法記念日):10.4%(909)

4.わからない:7.5%(651)

5.4月3日(聖徳太子の十七条憲法発布の日):6.1%(529)

6.4月28日(講和条約発効の日):5.8%(507)

7.特定の日ではなく、季節、月などを回答した者(春、秋、4月、9月な
ど):3.1%(271)

8.質問の趣旨にそわない回答をした者(「建国記念の日を設けることに
反対」など):2.1%(186)

9.8月15日:2.1%(183)

10.その他の日(旧正月、4月1日、11月3日、その他):1.4%(124)

11.元日:1.3%(109)

12.立春の日:0.5%(43)

13.もとの元始祭の日:0.1%(11)

(参考資料「ウィキペディア」)2011・1・16

◆本稿は、2月11日(金)刊の「頂門の一針」2178号に掲載されました。
他の卓見も拝読下さい。

◆<2178号 目次>
・スクープ建国記念「の」日:渡部 亮次郎
・「応援団長」にまで見放された民主党政権:阿比留 瑠比
・宦官「菅」と腑抜けの「司馬遼」:平井 修一
・可能か保守の大同団結:須藤 尚人
・グーグル閉鎖を命じたのは李長春と周永康:宮崎 正弘

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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