2011年02月21日

◆「木津川だより」古代大和への玄関港「泉津」

白井繁夫

私の住む木津は、京都府の最南端の地の奈良市と接する処で、大阪市の中心から30kmの圏内にありますが、平成の全国的な町村合併で木津川市になるまで百年余りの間、町政のままの落ち着いた静かな木津の町でした。

 
この町に来た動機は、子供が病弱のため、(三十余年前)香里園の小児科の先生の薦めで、大阪から生駒山を越えさらに離れた空気の良い処、また私が大阪市内に通勤できる地に適した地で選んだのです。

ところがここに住み始め半年も経たぬのにすっかり子供は元気になり、今は自立し家を離れ,私も勤めを終えた身となっております。

わが町を眺めた時、学研都市として国立の国会図書館とか各種の研究所等もありますが、古代から静かに佇む神社仏閣、遺跡等、もの云わないこれら仏像、遺跡が古代からの歴史(ロマンや戦記、人々の営み)を語りかけてくれる大変素晴らしい処に住んでいたのだと気付きました。

ところで、木津川市は国宝、重文や国の史跡が府内では京都市に次いで二番目に多い都市で有ることをご存知でしょうか。

私は退職後、もっと地元に溶け込み、いろいろ学びたいと思い『木津の文化財と緑を守る会』に入会し、昨年の『平城遷都1300年祭』の際、『泉津から平城京への道』の催事に携わる機会を得ることにより、さらに良い里だと感じるようになりました。

この木津は古代の飛鳥、奈良時代から木津川に面した大和の玄関港として、特に平城京建設時には国の役所を始め東大寺、興福寺も木屋所を置き、官道(中ツ道、下ツ道等)を利用した建築用材木の運搬、そして税の米や、塩、油等の生活物資、海外の文物、人の往来等で栄えた所です。

市内には奈良時代の聖武天皇の恭(く)仁宮(にのみや)や上津(こうづ)遺跡(いせき)(広大な泉津の一部)、中世では近畿の代表的な山城(鹿(か)背(せ)山城(やまじょう):NHK教育TVで3月17、24日放映予定)、明治では幻の鉄道(大仏鉄道)等の遺構があります。

奈良時代の官道に沿って建設された奈良山瓦窯跡(国指定史跡)、記紀の物語に纏わる神社(幣(へ)羅坂(らさか)神社(じんじゃ))、重文の相楽(さがなか)神社(じんじゃ)も餅花奉納や中世的な宮座祭祀等の特徴を有しています。また、大塚山古墳や高麗寺跡等の有名な遺跡も有ります。

隣接する奈良市は東大寺、唐招提寺等の世界遺産を有し、全国的に有名な寺院が有りますが、この木津川市にも古代から人々の祈りに応えて、安らかで静かなひと時を与えて下さる上述の有名な寺院や遺跡、国宝や重文の仏像も数多く有るのです。

私は、記紀の物語とか昔から地元の人々に伝わってきた伝承・遺跡等から、当時の人々の悲喜交々の営みの姿を、皆様とご一緒に、木津川市を散策しながら感じ取ることが出来たら最高だと思って居ります

これからが「木津川だより」の本番です。その冒頭に、古代大和の玄関港『泉津』とその周辺について少し触れてみました。

泉津(いずみつ):木津川の六ヶ浜(宇治の一口(いもあらい)〜笠置ノ浜)の一つ『木津の浜』。その周辺:平重衡(南都焼討の総大将)の十三重石塔、和泉式部の墓、奈良街道(中ツ道)の出発点です

次回からは『泉津』から古都奈良と関わってきた「歴史の散歩道」へと繋いでいく予定です。お楽しみに。  (完)              
<郷土愛好家>

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