石岡 荘十
いまこの国で一番、非難・批判が集中している企業は東京電力だろう。だが、それにつけて思い出されるのは新約聖書にある話(ヨハネ伝第8章7節)である。
姦淫した女性へ石打ちの刑をイエスに迫る村人たちに対して、イエスが言った言葉。「まず罪なき者、石もて打つべし」。すると、村人たちは歳を取った者から1人帰り2人去っていったという。
問題となっている東電福島第一原子力発電所の1号機が営業運転を開始したのは1971年3月のことだった。
その10年前の1960年、福島県は、原子力利用による発電事業の可能性について調査を実施。人口希薄で、30m程度の断崖になっていたため、ここを適地と判断し、双葉町と大熊町を選定した。
これを受けて両町は原子力発電所誘致促進を議決した経緯がある。
安全性については、1960年5月24日のチリ地震津波(地震発生は5月22日)、高さ6メートルを最大限として防波堤、防潮堤を建設、立地をすることで国の安全基準をクリアした。
東京電力はここで機が熟したと判断してアメリカのジェネラルエレクトリック社(GE)社にプラント建設一式を発注したという経緯がある。
因みに、時の総理大臣は池田勇人(1960年月〜1964年1月)、佐藤栄作(1964年1月〜1972年1月)だった。
確かに原発建設に当って国の基準は守られた。しかし東電だけではなく国も「安全基準が甘かった」と認めている(18日、参議院予算委員会)。つまり、建設計画当時、安全性について両者は共犯関係にある。
ところが、2006年3月1日、京都大学原子学工学科卒という経歴のある共産党衆議院議員、吉井秀勝氏が国会質問で、福島第一原発を含む43基の津波対策の不備を指摘。
冷却水喪失による炉心溶融の危険性を警告した。当時の経済産業大臣は、二階俊博氏(自民党)で、対策を約束したがほとんど何の改善も行われなかった。
その年の9月、小泉総理退任。後任の安倍晋三総理大臣に対して12月、吉井議員は「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を提出したが、安倍総理は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と事実上、無視した。
吉井議員は2010年4月にも衆院経済産業委員会で同じ問題を取り上げたが、この時の直嶋正行経済産業大臣(民主党、鳩山総理)も「多重防護でしっかり事故を防いでいく、メルトダウンというようなことを起こさせない、このための様々な仕組みをつくっている」と断言し、何の安全対策も講じなかった。
今にして思えば、相手が共産党ということもあってか、なんとも白々しいものだった。多分、官僚の作文であろう政府答弁はおざなりであり、対策を約束しながらも、実際には何もしなかった。
事故を回避できなかった原因として指摘されている担当大臣や総理の答弁は個人の考えではなく、多分、官僚の作文、それを支える専門家(学者?)の書いたシナリオに乗ったものだろうが、政治家たる者、発言内容と結果に責任を持たねばならない。
元経済産業相、総理、そのシナリオを書いた官僚、学者は誰か。その責任を問う声は聞かれない。同時に、問いたいのは当時のマスコミに責任
である。
吉井議員が問題提起をした2006年当時は、いうまでもなく政局は混迷の真っ只中にあった。日替わりランチのように毎年総理が変わって、自滅への坂を転がり落ちていった時期だ。政治記者にとっては、ウデの見せ所だっただろう。
”Bad news is good news.”だからだ。政局取材に奔走したであろうことは当時の記事からも読み取れる。「原発危うし」などという分かりにくくて地味なニュースがフレームアップされて報道された記憶は私にはない。
事件屋だった私にはよく分からないが、「政治家は党利、党略、私利、私欲で物事を判断する人種」(某全国紙主筆)だそうだから、政治記者もまた政局取材に没頭した。地味な原子力エネルギー政策に取り組んでも、社内力学を考えるとボツだったのかもしれない。
東電の盆暮れの付け届け、接待攻勢で、「安全神話」を吹き込まれて信じこんだ記者もいた。当時、地方記者だったOBから具体的なケースも聞いているがここでは書かない。
だが、彼らも共犯者ではないのか。政権与党にも、東電から多額の政治献金があった。
歴史的・客観的な結果責任という評価の視点に立てば、“国難”の兆しがありながら、それを見逃がし、一億国民を戦争に駆り立てたあの時代のマスコミと同じ評価をいま受けることに甘んじなければならないだろ
う。
ただ戦時と違うのは、この時代、軍部による情報統制の圧力があったわけではないのに、国のエネルギー政策の検証と批判を怠ったという点だ。その分、より大きな責めを受けなければなるまい。
にもかかわらず、東電・政局批判の論調は続く。長年、政治担当だったというある政治記者は、いまも政局記事を生き生きと書きまくっているが、この間、政局報道にのめりこんで重大な政策を見落としたという反省はないのか。
被災者の苦難を思えば、いま長屋の井戸端会議ような政局がらみの噂話、憶測にかまけている場合ではないだろう。
「まず罪なき者、石もて打つべし」君はいま石で打つことが出来るのか。
20110425