2011年05月16日

◆深川は開拓者の苗字

渡部 亮次郎

江東区に引越して来て16年が経った。早いものである。ここに住まうなんて学生の頃は想像もしたいなかった。政治記者になってからも、下町に住む政治家は数えるほどしか居なかったので足を向けた事は1度も無かった。

辰巳芸者の居た深川、と言う名は年寄りから聞かされたことはある。都心の江戸城から見て辰巳の方向の深川の花柳界には気風のいい芸者がいて賑わったものだった、とか。しかし昭和20(1945)年3月10日の米軍による大空襲で消滅したことも。花柳界は復活しないままに終わるだろう。

北海道の深川市の由来は市内を流れる川の名(アイヌ語)=深い川からつけたもので東京の深川とは残念ながら無関係。ここの市長とはあることから交流があったが、彼は事件を起こして引退した。

昔、深川は深川区だった。東隣の城東区と合併して今の江東区となって現在に至る。

江東区の町名

(深川地域) 青海 | 有明 | 石島 | 海辺 | 永代 | 枝川 | 越中島 |
扇橋 | 木場 | 清澄 | 佐賀 | 猿江 | 塩浜 | 潮見 | 東雲 | 白河 | 新
大橋 | 住吉 | 千石 | 千田 | 高橋 | 辰巳 | 東陽 | 常盤 | 富岡 | 豊
洲 | 平野 | 深川 | 福住 | 冬木 | 古石場 | 牡丹 | 三好 | 毛利 | 森
下 | 門前仲町

私の住まいする毛利は下段。最も北部に位置するから錦糸町やスカイツリーに極近い。

(城東地域) 大島 | 亀戸 | 北砂 | 新砂 | 東砂 | 南砂 | 新木場 | 夢の島 | 若洲

深川の由来は、湿地帯であった現・江東地区を開拓していた深川八郎右衛門の姓に由来するといわれる。3代将軍徳川家光の時代から富岡八幡宮の門前町として発達し、明暦の大火ののちに木場が置かれて商業開港地域となり、深川岡場所も設置され花街となる。


江戸の辰巳の方角にあることより、ここの深川の芸者は辰巳芸者と呼ばれ、粋で気風が良いとされた。

もとは下総国葛飾郡の内で、江戸時代初期の1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年-1643年)に太日川(現在の江戸川・旧江戸川)より西の地域を武蔵国に編入した際に武蔵国葛飾郡となる。

両国橋が架けられたのちに江戸図にも載せられて江戸に組み込まれるようになり、町地が多く起立して1818年の「旧江戸朱引内図」でも朱引内に含まれている。一方、町地以外の部分は代官所管地の深川本村が置かれた。

横十間川が江戸の境目だったらしいから、5月14日に千代田区から移転してきたコンピュータ会社「ヒューレット パッカード」日本本社は、横十間川の外だから江戸じゃなかった場所だ。

深川にはその昔、材木商人として財を成した紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門も一時邸を構えたそうだ。

1702(元禄15)年の大石良雄率いる赤穂浪士が吉良義央邸に討ち入った事件では、一行は富岡八幡宮の前の茶屋で最終的な打ち合わせのための会合を開いたと伝えられる。曲亭馬琴はこの地で生まれ、平賀源内や松尾芭蕉、伊能忠敬なども深川に住んだ。

1878年、郡区町村編成法施行に伴い東京15区の一つとして成立した区域に名称として採用された。この深川区は、現在の江東区のうち上記江戸の町地に該当する地域である。ついで1889年市制町村制施行によって横十間川より西側の地域全てが深川区になる。(横十間川以東は南葛飾郡大島村に編入された)。

これらはいずれも現在の江東区深川よりはるかに広い範囲である。1945年3月10日の東京大空襲ではこの深川区に爆撃初弾が投下され、区内は焦土と化した。戦後1947年に城東区と合併し、現在の江東区となる。

城東区(じょうとうく)とは、かつて東京府東京市(後に東京都)に存在した区。

区名は皇居(江戸城)の東側にあることに由来している。東京市の一部ではあったが完全な行政区ではなく一定の自治が認められていた。東を荒川・旧中川、北を北十間川、西を横十間川、南を東京湾に囲まれた地域であった。

当初は亀戸を中心とした寺社地域や水運関係を除けば農業地域であったが、次第に都心部へ通勤する人々の住宅や水運を利用した工場建設などが行われ、1935年10月1日の統計では人口18.43万人、面積10.18平方キロに達した。

だが、東京大空襲によって区内全域が大きな被害を受け、1947年3月15日には隣の深川区と合併して江東区となった。

1932(昭和7)年10月1日 - 南葛飾郡全域が東京市に編入。亀戸町、大島町、砂町の区域に城東区を設置。

1943(昭和18)年7月1日 - 東京都制が施行され、東京市と東京府が廃止され、東京都を設置。

1947(昭和22)年3月15日 - 深川区と合併して江東区を新設

敗戦直後、江東区の人口はたった25,000人に減っていた。いまは47万4925人。うち外国人2万1414人(2011年5月1日現在)。新宿区は韓国人が多いそうだが、江東区の外国人は中国人が多いようだ。街の汚し方で分かる。

深川江戸資料館ができたり、深川めしが東京駅の駅弁のメニューに登場したりで、脚光を浴びるようになった。また、深川不動堂など、深川の地名のつく施設もある。

深川めし。私は食べたことが無い。

アサリのむき身を味噌汁の具にしたものを、茶碗や丼にのせた米飯にかけたものである。 気の短い江戸っ子の漁師が飯と汁物を一緒に食べる為に考案された。

あさりの産地ではポピュラーなものだが、東京の深川が代表格であり、「深川めし」と呼ばれている。なお、近年増え始めた深川めし屋は炊き込みタイプの上品なものとなっている。

アサリは、他の具(長葱・油揚げなど)とともに醤油などで味付けをして煮る。その後、煮汁でご飯を炊き、炊き上がったら具を戻してかきまぜてできあがり。炊き込みご飯ではあるが、アサリそのものをご飯と一緒に炊き込むわけではない。

駅弁として、NRE大増とJR東海パッセンジャーズが「深川めし」という名前のものを発売している。これらはいずれも、炊き込みごはんタイプの深川めしである。2011・5・14
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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