2011年05月23日

◆東日本大震災の報道で思うこと

渡邊好造

東日本大震災の津波の惨状はすざましかった。まるで波に命が吹き込まれて人間に襲いかかってきたかのような錯覚を起させた。恐ろしい魔物が大口を開けて東日本の海岸地帯の町と人々を飲み込んでいった。

住民の受けた衝撃と恐怖はいかばかりだったか。そのあとの原発事故はまさに人災というべき余分なものといえる。

かろうじて癒された気分になったのは、世界各国を初め多くの人の自発的な善意である。いち早い復興支援のボランテイア活動、多額の義捐金など日本中が東日本の応援に立ち上がったのは驚きであった。

海外メデイアは、すさまじい被害にあいながらの日本人の秩序正しい行動を絶賛していたらしい。

一方で、この機に乗じて悪事を働く奴もいたのは残念である。

流された車からETCカードを抜き取る、金庫やATMから現金を盗むものが続出したらしい。これをやったのは日本人でなく外国人ばかりだという被災地の人もいたが証拠もなしにこれは言い過ぎである。

さて、テレビ報道をみていて気になったこと。

天皇皇后両陛下が膝をおって慰問されているのに対して胡坐をかいたまま、、、。足が痛くて正座できないなら椅子ぐらい用意するべし。

福島県知事が東京電力社長に対して「福島原発は再稼働しないとここでハッキリ約束してください」と大声で怒鳴っていた。東電原発のお蔭で約7千億円もの交付金・税金が福島の街を潤していたというではないか。そんな恩恵を受けていたならもう少し丁寧な言い方をするべきではないのか。このでかい態度は背後の選挙民を意識してのパフォーマンスとみた。

避難所のオバサンの「菅総理お願いがあります」に対して、菅総理は「何でしょうか」。オバサン曰く「今すぐ総理を辞めてください」。このオバサン、そんな偉そうな口をきいて自分を何様だと思っている。

同じく避難所で菅総理に対して「もう帰るのですか」と大声を出したオッサンがいた。「お帰りになる前に聞いて頂きたいことがあるのですが、、」と丁寧になぜ言えない。いくら頼りない、人気がないとはいえ、一国の総理に対して失礼ではないか。

これもオバサン、「原発は止めてください。しかし交付金はそのまま続けてください」。町財政の4割を原発に依存している所もあり無理もないとはいえ、それはムシが良すぎる。東電社長に土下座させ謝らせていた人もいた 。こんなことまでさせて何の得がある。憂さ晴らしにしかならない。

どれもこれも理屈の通らないことや、立場をわきまえない、相手に対して失礼な態度であり、口のきき様である。東北人はズーズー弁を捨てて標準語を覚えたが礼儀を覚えることを忘れているのではないか。

善意に解釈すればいずれも数少ない事例なのかもしれない。だとすればテレビはこんなみっともない、図に乗った、礼儀知らずの東北人の姿を映し出すべきではあるまい。

今一つ何を意味するのかよく分らないのは”がんばれ”、”がんばろう”である。「がんばろう日本」、「東日本がんばれ」などのキャッチフレーズがやたら登場する。

広辞苑によると、”がんばる”とは「どこまでも忍耐して努力する」「我意を張り通す」とのこと。被災した人にとっては、辛いことだが辛抱するしかないということになるが、被災者でないその他の人は何をどうすればいいのだろう。

ある人が週刊誌で書いていた。「人との別れ際や励ますのに”がんばれよ”、”元気でな”、”体に気を付けてな”などは普通に使う言葉だが、こうした言葉を絶対に言えなかった時があった」。

その人の仕事は刑務所の刑務官で、担当していた死刑囚が早朝に死刑の執行を言い渡され、刑場へ行く途中で別れの挨拶に来た。もうすぐ吊るされて死ぬ人にどう言えばいいのか、ただ黙って相手の顔をみつめ続けた、とのこと。

日本での死刑執行は何人かの人間を残酷に殺害した報いだろうが、この刑務官の話の場面だけ想像すると哀れを催す。

ことほど左様に相手への態度、言葉の使い方は複雑で難しそうにも思える。要は相手がどういう立場の人か、今どんな心境にあるのかを配慮しさえすればいいことではないのか。(完)



この記事へのコメント
言葉遣いの大切さを再認識しました。
私は口が悪いですから、特に気をつけないと
いけません。
Posted by 岩本宏紀(がんちゃん) at 2011年05月24日 19:34
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