2011年06月10日

◆患者自己注射物語

渡部 亮次郎

日本で糖尿病患者が治療薬「インスリン」を患者自身で注射して良いと決断した厚生大臣は園田直(そのだ すなお)である。インスリンの発見から既に60年経っていた。逆に言えば患者たちの悲願を歴代厚生大臣が60年も拒否するという残虐行為をしてきたのである。

園田自身も実は重篤な糖尿病患者であった。しかしインスリンの注射から逃れていたために大臣在任中、合併症としての腎臓病に罹り、1週間ほど緊急入院したくらい。大変な痛がり屋。引きかえに命を落とした。

政治家にとって入院は命取り。大臣秘書官として事実を伏せるために余計な苦労をしたものである。にも拘らず園田はそれから僅か3年後、人工透析を途中で拒否したため、腎不全のため70歳で死亡した。昭和59(1984)年4月2日のことだった。

その直後、私が糖尿病を発症した。全く予期せざる事態に仰天した。糖尿病は現時点の医学では絶対治らない病気、いうなれば不治の病というから業病(ごうびょう)ではないか。絶望的になった。

検査などの結果、私の母方の家系に糖尿病のDNA(かかりやすい遺伝子)が有り、弟は発症しないできたが、上2人の男兄弟は暴飲暴食による肥満が契機となって発症したものと分かった。

しかし、あれから30年近く、私は毎朝、ペン型をしたインスリン注射を繰り返すことによって血糖値を維持し、今のところ合併症状も全く無い。普通の生活をしていて主治医からも「文句の付けようがありません」と褒められている。お陰で園田の年(70)を超えた。

これの大きな理由は注射針が極細(0・20mm)になって殆ど痛みを感じなくなったからである。あの時、園田が自己注射を決断したお陰で医療器具メーカーが、患者のためと自社の利益をもちろん考え、針を細くし、簡単に注射できるよう研鑽を積んでくれたからである。

逆に言えば、厚生省が自己注射を許可しないものだから、医療器具メーカーは、それまで全く研鑽を積まないできてしまったのである。自己注射で注射器や針がどんどん売れるとなって初めて研鑽を積む価値があるというものだ。

つまり役人や医者の頭が「安全」だけに固まっている限り医療器具は1歩たりとも前進しないわけだ。患者たちを60年も苦しめてきた厚生省と日本医師会の罪こそは万死に値するといっても過言ではない。

そこで常日頃、昭和56年までの糖尿病患者たちの苦しみを追ってきたが、最近、やっとそれらしい記事をインターネット上で発見した。


「インスリン自己注射への長い道のり」(2001/05/28 月曜日)と題するもので、とある。
http://www.geocities.jp/y_not_dm/insurin2.html

東京女子医科大学名誉教授 福岡白十字病院顧問 平田 行正氏へのインタビュー記事「インスリン自己注射の保険適用から15周年を迎えて…」より抜粋と要約

<インスリンが発見されたのは、1921年(大正10年)です。欧米では供給のメドがつくとすぐに患者の自己注射が認められました。しかし、日本では60年もの間、自己注射が認められず、また、保険の適用もありませんでした。

当時の日本では、医療は医師の占有物だとする古い考え方が根強く、医師会はもちろん、厚生省の役人の中にも、何もインスリン注射をしなくとも飲み薬があるではないか、と平気で発言する人もありました。

インスリン注射が必要不可欠な糖尿病患者は、インスリンを自費で購入し、自ら注射するという違法行為でもって、生命をつないでいました。

インスリン発見50周年にあたる昭和46年、糖尿病協会は全国的な署名運動を行い、3ヶ月足らずで11万4,000名の署名を集めましたが、厚生省からは、「国としては、正面きってこれを取り上げるのは難しい」という回答が繰り返されました。(佐藤内閣で厚生大臣は内田常雄に続いて齋藤昇)。

中央官庁の理解が得られず、困り果てた医療側や自治体はあの手この手で知恵を絞り、自己注射公認まで持ちこたえました。

昭和56年(厚生大臣 園田)、各種の努力によりインスリンの自己注射が公認され、その5年後には血糖値の自己測定が公認されました。保険適用。

医療は医師だけのものではなく、患者と共に手を携えて行うべきものだということが公認された、医療史上最初の出来事です。

インスリン自己注射公認までの悪戦苦闘

長野県・浅間病院と県の衛生課や医師会などが協議して、生み出した苦肉の策。患者の来院時にインスリンを1本処方し、その一部を注射して、残りを渡して自己注射する。毎月1〜2回患者から直接電話で報告を受けることで、電話再診料として保険請求した。

新聞が長野方式として報じたため、厚生省から中止命令。

バイアル1本を処方して、注射後捨てたものを患者が拾って使用した、という言い逃れ。来院時に400単位を1度に注射したことにして、1〜2週間は効いている形にした>。


1986年、研究のスタートから10年目、

血糖自己測定が健保適用に  (2003年9月)

血糖自己測定を導入した糖尿病の自己管理がスタートした頃(1976年〜)、今では誰もがあたりまえと思っているインスリン自己注射は、医師法に違反するという非合法のもとで行なわれていた。

日本医事新報(1971年)の読者質問欄ではインスリン自己注射の正当性について、当時の厚生省担当官は「自己注射は全く不可であり、代わりに経口血糖降下剤の使用があるではないか」と回答している。これが1970年代の実態だったのである。

このような状況に対して、当時の「日本糖尿病協会」は、インスリン発見50年を迎えて、なおインスリン自己注射が認められない現状を打破すべく10万人の署名を集めた。そして厚生大臣をはじめ関係各方面に、インスリン自己注射の公認と健保給付を陳情したが全く受け入れられなかった。

正当化されたインスリンの自己注射(1981年)

このような状況だったため、インスリンの自己注射容認と、インスリン自己注射に関わる諸費用の健保適用までには、なお多くの人の尽力と歳月を要した。そして結果が出たのは1981年(昭和56年)。

この年ようやくインスリン自己注射の正当性の認知とこれの健保適用が得られた。その内容は当時行なわれていた慢性疾患指導料200点に、もう200点加算するというものであった。

これはその後の医療のあり方に大きな影響をもたらし、血糖自己測定も含め、患者を中心にした医療の実践の必要性と有用性の実証へと繋げられていった。


<血糖自己測定の健保適用(1986年)(園田死して2年後)

C:\Documents and Settings\Owner\My Documents\血糖自己測定25年.htm

インスリン自己注射の健保適用から5年後、私たちが血糖自己測定研究をスタートさせてから10年目、大方の予想を上回る速さで血糖自己測定の健保適用がなされた。これはインスリン自己注射指導料に加算する形で設定された。

以後、何度かの改定を経て、保険点数には血糖自己測定に必要な簡易血糖測定機器、試験紙(センサー)、穿刺用器具、穿刺針、消毒用アルコール綿など必要な機器や備品の全ても含まれるようになっている>。

1人の政治家の柔軟な頭脳による1秒の決断が、日本の歴史を変えたといってもいい決断だった。この事実を厚生省は大げさに発表しなかったが、元秘書官として責任をもって報告する。(文中敬称略)


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