2011年08月29日

◆鹿野を無視した小沢の怨念

渡部 亮次郎


予想いたとおり、小沢は鹿野を無視し、泣き虫海江田を選んだ。

泣き虫は選挙の看板にはならないから、小沢軍団とはいえ、女性議員らチルドレンは小沢の指のあいだから逃げて、看板前原に走る可能性が無いわけじゃない。

<「海江田氏なら政治前進」=小沢氏、女性議員と会食

民主党の小沢一郎元代表は26日夜、都内のイタリア料理店で、三宅雪子衆院議員、谷亮子参院議員ら自身を支持する女性議員約15人と会食した。

出席者によると、小沢氏は党代表選で海江田万里経済産業相を支援する方針を決めたことを説明。「(海江田氏なら)どんどん政治が前に進む。国民の生活に直結する政策をやってくれる。決して諦めることなくマニフェスト(政権公約)を実現する努力を重ねていける」と強調した。> 時事通信 8月27日(土)0時45分配信

財源を見つけることができなくて実行不可能と決った「マニフェスト」。そのマニフェストに拘ることが海江田推薦の理由だと小沢は言うわけだ。これにチルドレンたちは納得するのだろうか。

とにかく小沢には走れる馬が1頭もいないのだ。さりとて前原にも野田にも乗れない。仕方ないから鳩山派にいる海江田を指名するしかなかったのだ。

ひょっとして農林水産大臣の鹿野道彦を指名すると言う観測もあったが、私は「絶対あり得ない」と思っていた。小沢の怨念が、そうさせない。それは何か。

<鹿野は海部党首退任後の第2回新進党党首選挙では小沢一郎の推薦人となり、小沢が当選後の明日の内閣では総務庁長官となった。

しかし鹿野らが推し進めてきた小選挙区制での初の選挙である第41回衆議院議員総選挙で新進党は敗北。この結果を受け、小沢ら執行部の運営に不満を持った羽田孜や奥田敬和らが離党し太陽党を結成するなど党内情勢が不安定に。

更に小沢や自民党の梶山静六・亀井静香らが提唱した保保連合構想によって小沢の求心力はさらに低下する。

1997年、このような状況を受けて小沢の再選を阻止すべく「今こそ新進党は生まれ変わらなければならない」と鹿野は自ら党首選に出馬。小沢と一騎打ちとなり、結果的に小沢の再選を許すも小沢230票・鹿野182票と善戦した。

選挙後、鹿野は小沢の手を取って選挙後の党の団結をアピールするが、小沢は鈍化路線に走り選挙9日後の12月27日に一方的に新進党解党を宣言する。

新進党解党後、党内の反小沢系の保守派議員を集め、1998年1月4日に国民の声を結成し代表に就任。さらに23日、太陽党・フロムファイブ(細川護煕代表)と合流し、羽田を党首にかついで民政党を結党。鹿野は党幹事長に就任するが、間もなく民政党は民主党に合流した。>(ウイキ)

自らに肉薄した者に対する怨念は忘れることができない。それが小沢なのだ。だから側近も離反してゆく。気がついてみれば党代表選挙に乗るべき馬が無くなったのがこの「怨念」である。

つまるところ、小沢は決定的な敗北を喫すれば、政治生命をもはや失いかけている。最早、政界にいてやることがなくなったから、失意の身を何処に置くのだろう。

前原の対抗馬に小沢が海江田を想定している事は、小沢が海江田の経済理論に凄く共鳴しているという情報から、或いはと想定していた。しかし海江田が国会審議中に泣くという飛んでもない失態を演じたので、見捨てたのかと思っていた。だが、こともあろうに西岡参院議長の名を出し、ルーピー鳩山にと止められると海江田しか居なかった。文中敬称略
 
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