2011年09月15日

◆歩行回復顛末記

渡部 亮次郎

2011年9月4日、栃木県の鬼怒川温泉で目覚めたが、右の膝に言い知れぬ痛みを覚え、歩きにくくなった。求めた杖や家人の肩を借りて、用事をこなし、なんとか帰京した。

5日は毎日服用している血液さらさら剤「ワーファリン」の効き目を検査する大学病院の定期検診日である。まず採血室を訪れたが「担当医からの指示」が出ていないと採血拒否。博士でも採血指示を「忘れる」こともあるらしい。

指示を出しなおしてもらった。この時点で相当、頭に血が上っているが、真実、血が出ていたのは昨日痛めた右足だった、内出血らしく、青黒く、2倍ぐらいに腫れている、気が気ではない。

神経内科の担当医(教授)の診察では、肝腎のワーファリンは効きすぎだ、期待値は「2」だったが、なんと「4・5」に上がっている。

「そういえば先生、昨日から右足が腫れて痛いんですけど」「どれどれ、ありゃ、これは右足動脈に血栓が詰まり、血液が漏れ出したのかも知れない、形成外科で診てもらってくれ、とにかく暫く入院してください」。私は帰宅したら近所の整形外科医院で診てもらおうと考えていたのに、えらいことになってしまった。

こんなことになるとは想像していなかったが、なんとなく手間がかかるとは思って、メルマガやブログの読者には「暫く休刊する」旨を書き残してきた、2−3日の休刊を想定していたにすぎない。

あとで聞けば、早々にMRIによる撮影ができれば、入院は長引かなかったらしい。ところが大きな大学病院。撮影待ちの患者がすでに40人に達していた。地方の大学病院なんかでは考えられないこと。しかも、私には「40人待ち」の事実は隠したまま。

とりあえず初日は形成外科で、足その他に動脈血栓があるかを調べてもらった。しかし「血栓(血の塊)はありません」。猛烈、不味い夕食で日が暮れた。4人部屋に3人。隣と頭上から猛烈な鼾。足の血は頭にのぼった。

いちいち書いていたらハラが立つ。鼾は睡眠薬でのがれた。特に酷かった老人(こちらも老人だが)が翌日退院していったので鼾は半減。私も酒を呑めばどうか知らんが、家人が私の鼾で苦情を言うことは無い。睡眠薬で何とか朝を朝らしく迎えた。

盛んにCTを撮る。レントゲンを何回も撮る。当然、骨折など、異常は発見されず。毎日のように採血する。腫れが黴菌から来ているかどうかだという。3日間も培養したが何も発見されなかった。

私の入院を決定したのは脳神経科である。だが、もはやどう考えても足は脳ではない。足は足である。足の痛さを治すのは形成外科ではなく整形外科と思う。だが脳神経科は最後まで私を放さなかった。

入院6日目、脳神経科の研修医が突然「病名は滑液包炎(かつえきないほうえん)です」と夕刻に宣告。「どなたの診断ですか」と問えば「各科協議の結果です」。なんだか、訳が分からない。

新しい鼾屋が隣に来た。パーキンソン症候群に脳出血を併発したとか。頭ははっきり、計算も出来るが、咳が絶えない。隣人は寝不足。

病院は医師が最高権力者、看護師は医師の指示以外、何もできない。逆に言えば、研修医の指示でも指示である。その下に介護士。車椅子押しとか、配膳は介護士の役目。私はこんな差別職場は務まらないだろう。

12日夕方、突然、整形外科医のところへ車椅子に乗せられて行った。今朝ようやく撮影できたMRIの画像をみて「膝の関節に水が溜まっているから抜きましょう」。針は痛かった。それよりも驚いたのは出てきたのが水ではなく血液だったことだ。ワーファリンで薄くなった血液はMRIでは水に映るのか。

「これは何かの拍子に傷ついた膝の関節にワーファリンで薄くなった血液が大量に出血したものですね。関節内血腫です。散歩のし過ぎで弱っていた関節に何かの拍子に傷がついたのですね。老齢化も手伝っているでしょう。殆ど再発は無いでしょう。内出血は次第に吸収されて、足の太さは元に戻るでしょう」。

病室に戻ると、神経内科の女医が来て「明日退院」が宣告された。

早々に整形外科に転科し、さらに直ちにMRIが撮影できれば湿布だけで治るものだったのだ。それを脳神経科に捕まったばかりに酷い目にあった。

不必要な検査を様々に受けさせえられた結果、内臓は実に健康であると言う結果を得た事はよかったが。それにしても予期せざる出費を余儀なくされた。2011・9・13
 
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