2011年10月05日

◆末期のソ連で見たもの

渡部 亮次郎

所変われば品変わる。所は、今は飛行機であっという間に変わるから、品もあっという間に変わる時代になっている。真冬のモスクワで頭を毛皮の帽子で保護していたのに、次の日、アラビヤの沙漠では車のボンネットで目玉焼が出来るほどの灼熱だ。

そんな1月、クレムリンに入っていって驚いた。昼間、小雪の下で入城許可を待つ男女の長い列。靴は破れ、マフラーはボロボロ。男といわず女といわず、私を見つめる目の縁が全員、真っ赤だ。

思わず「農奴か」と聞いたら日本大使館員,「いやこれが1千万モスクワ市民の実態です」というではないか。一世一代、待ちに待ってやっとクレムリン見学に来られたのだという。これで社会主義革命成功とは絶対いえない。

これが1978年。23年後にソ連は予想通り崩壊した。

<1991年12月25日にソビエト連邦(ソ連)大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、これを受けて各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体された>。

握手した首相コスイギンの軟らかい手を思い出す。もうこの世の人ではない。「小国」日本から来た外務大臣との面談を拒否するため風邪を装ったブレジネフ議長も祖国崩壊を目撃することなく没したのは、むしろ幸いだったかもしれない。

当時の日本大使館の建物はソ連側が建てたものだったから、館内は初めから盗聴されていた。だから明日の会談にそなえる我々の打ち合わせは、館内に作られた大きな箱の中で行なわれた。

しかも、会議中、流れる水の音を大音響で流しながらである。さすがにこれでは盗聴する方もわれわれの話す内容はわからないだろうという計算からだった。成功しただろうか。

向こうが平和条約安を出してくるだろうから、こっちも対抗の案を出そうと決めて行ったら、案の定出してきた。聴いていたのかもしれない。

その昔、漁業交渉に行った農林大臣河野一郎は、打ち合わせを公園を散歩するフリをしてやったといっていたが、技術の更に発達したいまは「読唇術」ということが行なわれているそうだ。   2011・10・03


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