2011年10月09日

◆新聞より電波を恐れたCIA

渡部 亮次郎

いくら暑い年といっても11月になると肌寒い。だが、沖縄はまだポロシャツ1枚だ。

その沖縄ががまだ米国の施政権下にある時代の秋にNHKから特派員として派遣された。1968年に行なわれた沖縄主席(いわば知事)の初の公選を取材するためである。

施政権を持つアメリカ側の最高責任者は「高等弁務官」といった。

IDカードについて話があるから出頭しろという。記者である以上沖縄の基地を取材したいとIDカード(基地出入り章)を申請していたのである。

「これじゃNOだ」「なぜ瞳の色が黒じゃいけないのか」「ブラックなのは沖縄島民であって、貴殿ら本土人はブラウン(褐色)だ、申請しなおせ」という。

われわれはモノを知らなすぎるのだ。外国人をひとまとめにする。「青い目」と言うが、彼らの瞳の色は様々。沖縄の人たちのDNAは九州のそれだというからブラウンのはずだが、当時のアメリカ軍は黒だといって聞かなかった。

早速取材を始めたところ、「ナショナル電気洗濯機」と横腹に書いたライトバンが二六時中、尾行してくる。誰と話をしたかをチェックしているらしい。「闘牛」見物に行っても尾けてくる。

弁務官事務所に文句を言ったら返事がいい、この島は我々の施政権下にある。本土から入り込んだ人物が何をしているかを監視するのは当然の権利であり、義務である。

「分かった・しかし激しい反米思想を持っている政治記者が何人もいるのに、私だけを尾行するのはなぜか」

「簡単だ。新聞が我々に不利なことを書いた場合、その新聞を那覇空港で没収すれば済むが、NHKの電波を止める手段が無い以上、東京に発信するまえから貴殿を監視する以外に方法が無いのだ」実に正直である。

昨夜、何処のバーでどういう女性相手にどんな銘柄のウイスキーを何杯飲んだか。何時の晩はどの種の女性と寝たかまでしっていた。ホステスこそがスパイでは無いかと疑いたくなった。

更に貴殿の電話を24時間監視し、東京への報告を傍受しているといいつつ大型の録音機を見せた。あれから間もなく沖縄は日本に返還されたが米軍基地はそのままである。CIAもまた不変であろう。

「5万の差で革新の屋良朝苗(やらちょびょう)が勝つという私の予想は的中した。

当然、CIAはそれを盗聴で知ったはずなのに「NHKが放送していた」とシラを切った。選挙事前情報をNHKが放送するはずがないのに「「した」という。最早呆れてポロシャツを脱ぎ、冬服に着替えて帰任した。

アッケラカンのアメリカ。秘密を秘匿し続けるロシア。その後、外務大臣秘書官に転じてから面白いことを聴いた。東京にある大使館をアメリカとソ連(いまのロシア)が前後して新築した。

その時引き込む電話線をアメリカは裸にした。何者かが盗聴装置をくっつけたらただちに分かるように、そうしたと言った。対してソ連はコンクリートで固めた。何者も手がつけられぬように。くどいが秘密保持に関してアメリカ人トロシア人。気質が根っから違うのですね。
2011・10・06
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