2011年10月11日

◆政治家の貫禄とは

渡部 亮次郎

近頃の政治家は貫禄が無い、と良く聞くが、尤もなこと、当たり前のことでは無いか。貫禄のつく経験をまったくしていないからだ。楽だけしてきた政治家に貫禄は無理。無い物ねだりである。

人間の幅は、喜怒哀楽の河を如何に深く高く長く幅広く潜り抜けてきたかによって決る。それは、喜びと楽だけの人生であって、怒りと悲しみは無いに越したことは無い。だが人生、そうはいかない。

しかし、その不幸の経験が多いだけ、その人間は、一寸やそっとのことでは怒らなくなるし、少々の悲しみには動じなくなる。それが貫禄である。

このように考えると、残念ながら「泥にまみれ火に焼かれるような極めて苦痛な境遇」(広辞苑)という「塗炭」の苦しみの経験を恐れていては貫禄というものは絶対できない。

近頃の政治家に貫禄が無いのは戦争とも関係がある。70年近く戦争がなく、大東亜戦争の経験者が消えて行こうとしている。望んで軍人になった者(職業軍人)はいざ知らず、召集令状によって戦場に駆り出されたた者は、抵抗も言い訳もできず、全身を敵弾に晒す以外に無かった。

また、銃後に残された妻子も、何時空から降ってくる爆弾で身を砕かれ、焼かれるか、恐怖の連続だった。地下鉄が曲がりきれずに、すれ違いざまの並行電車にぶつかってきて何人か死んで大騒ぎした日、東京・下町でパンを売っていたお婆さんが言っていた。「あの日(1945年3月10日)はあっという間もなく10万人が死んだんだよ」。

戦後、経済の高度成長が終わるまで日本の国会議員は戦争帰りばかりだった。日本刀で敵を何人も斬ってきたという猛者もいた。彼が言った。「大砲の弾が炸裂して生き残れる途はたった一つ。できた穴に飛びこむことさ。どんな敵の名手だって同じ場所に連続して着弾させる事はできないからさ。怖いようだけど、これが度胸であり、貫禄さ」。

その政治家はよく言っていた。士官学校を出たばかりの隊長は、初めて遭遇した敵に怯えきっている。タマを撃つことは習って来たが撃たれるのは生まれて初めてだ。経験が無いから貫禄もない。

だが、部下にそれを見せてはならない。逃げ隠れせず突っ立っている。部下たちは「危ないですから」と安全な場所へ誘導しようとするが、すればするほど隊長は身を危険に晒そうとする。

咄嗟に古参兵が叫んだ。「隊長どの、そこじゃ敵情が良く見えません。こちらへどうぞ」と岩陰に誘導。隊長は安堵の溜息をついていた。貫禄は士官学校では習えない。経験豊かな古参兵の貫禄に叶わなかったのである。

今じゃ政治家も二世、三世ばかり。家庭教師、予備校付きで安楽な学生時代を経てサラリーマン、松下政経塾では手当てを貰って当選学だけを学んでくる。命がけの仕事なんかしたことが無い。失敗をしたこともない。貫禄が付くはずが無い。しかし貫禄の無いのは国民全部といえない
か。2011・10・10
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