2011年11月05日

◆亡命しなかった岸信介

渡部 亮次郎

多分、毎日新聞時代の岩見隆夫の命名だと思うが、「昭和の妖怪」 岸信介(きし のぶすけ)元首相は「僕は田中角栄が総理になるような日本に、いたく無い。韓国に亡命するよ」と真顔で言っていた。しかし、田中内閣が発足しても、亡命はしなかった。

それを見て政敵はいざ知らず子分たちですら「ありゃ相当、田中毒を飲まされたよ」と冷ややかだった。事実、利権の世界では、田中の仲間だったことが次第に判って行った。

大東亜戦争を始めたと思ったら、東条首相の閣僚罷免に抵抗、とうとう誰も倒せなかった東條内閣を倒してしまった。それでいて、東条と同じくA級戦犯容疑で巣鴨プリズン入り。

しかし、悠々生還。3年生代議士にして総理大臣になった。直後、インドネシアへの戦争賠償に絡む汚職事件が発生。スカルノ大統領へ人身御供までして国家予算を掠め取った主人公が岸首相の友人とあっては、与野党挙げて騒がない方がおかしい。

しかし「湯気の上がっているカネはうけとらない」の信条が生きて、今度もするり。

内閣は日米安保条約の改訂という偉業を成し遂げるも左翼のデマにのせられた「大衆」と言う名の「衆愚」に引き摺り下ろされた。衆愚の中に加藤紘一がいたのは有名な話。

どっこい、妖怪となって政界を動かし続けた。実弟佐藤栄作を首相の座に押上げ、後継者福田赳夫に「禅譲」させようとしたが、栄作の力が突然下落して、これには失敗。

岸と同じく大蔵大臣として大東亜戦争を始めた為、A級戦犯に問われた賀屋興宣(かや おきのり)もやがて、何事もなかったかのように生還し、今度は代議士として法務大臣をやった。

「ぼくは巣鴨で健康を回復したんだよ。粗末な食事で助かったんだよ」とにこにこしていた。

そこへ行くと岸は」巣鴨の話はしたがらなかった。眉間に皺を寄せながら「まだ40そこそこ。しょっちゅう夢精して困ったよ」と。

しかし、佐藤政権の後継者のことになると真剣だった。可愛くて仕方ない福田赳夫に佐藤が政権を禅譲すると信じて疑わなかった。だから、その分、ライバルの角栄嫌いは事実で、亡命云々はこのときに出た話であった。

グラマン、ロッキード。軍用機、旅客機。戦後、これらに絡む汚職事件が起き、岸の周りをすぎて行ったが、常に岸は逃れた。「僕は湯気の立つようなカネは受け取らんからねえ」とアゴを撫でていた。

東大卒業時、教授にするから残ってくれといわれても断って商工官僚になった。直後、満洲経営に携わった。首相時代は答弁の名人といわれ、野党は「両岸答弁」と揶揄して悔しがった。

岸といい、賀屋といい、大変な修羅場を潜り抜けてきた。恐ろしいものは既にこの世になくなってから政界入りし、国民を指導した。何度も殺されかけたし、刑務所も見てきた。人はこれを貫禄と言った。

今の政治家はリッチで幸福な青春を謳歌している。失敗が怖いから如何にしたら失敗をしないで済むかばかりを考えているから貫禄の付きようが無い。喜怒哀楽の深さが無い。こんなのが政治家。情けない。敬称略。2011 ・10・20




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