2011年11月07日

◆禁煙恩人はサッチャー

渡部 亮次郎


私が秘書官として仕えた外務大臣園田直(そのだ すなお)さんは1979(昭和54)年5月22日、現地時間午後5時15分から、イギリス・ロンドン市マンチェスター地区、ダウニング街10番地にある首相官邸にマーガレット・サッチャー首相を訪問し、日本の外相として首相就任の祝賀を言上した。

始めにハウ財務相と会談。ハウ氏はヘビー・スモーカーぶりだった。

ついでサッチャー首相の執務室入り。同席を許された私が煙草を吸ってよろしいですか、と尋ねたところ「どうぞ」との返事。

そこでロング・ピースに火をつけたが、一向に灰皿が出てこない。

これは吸うなという意味だと思って、消しにかかったが、どうすりゃいいんだ。

袋から煙草を全部取り出し、銀紙に包んで、どうにか消した。後に聞けばサッチャーさんは大の煙草嫌い。そういえば表敬会談に同席したハウさんは「私は煙草なんて吸ったことはありません」てな顔で澄ましていた。その瞬間、私は禁煙を決意した。だからサッチャーさんは私の禁煙の恩人なのである。

高校のころ、数人の友人が煙草を吸っていて、指先の黄色に染まるのに気を遣っていた。それを見ても私は吸いたいとは思わなかった。むしろ、家では晩酌よろしく清酒を飲んで満足していた。学校では酒も禁止されているが、酒は醒めれば証拠が無いから楽だったのだ。

煙草を吸い始めたのは東京で大学生活を始めたころ。先輩の下宿で吸わされた。始めは眩暈がしたが、それでもやめなかったのはどうしてだろうか。いきなりニコチン中毒になってしまったのだろうか。

この当時は一番安価なゴールデン・バットを吸っていたが、やがて高級なピース(両切)になり、記者になってからはロング・ピースになり、禁煙するまで、それを吸い続けた。

次第に肺癌論が高まっていたが、一向に禁煙しようとは思わなかった。兄などは「俺は中学から吸っていたのだから、いまさらやめられない」と嘯いていた。それが5月に訪ねたらきっぱり、やめていたので驚いた。理由はあえて訊かなかった。

私が禁煙を始めた時、煙草とライターをいつも通り、ポケットに入れたままの試練に挑戦した。1時間我慢、2時間我慢、半日我慢、1日我慢と続けるうちに、いつの間にか禁煙に成功していた。「吸いたくなったら、いつでも吸ってやる」と思いながら禁煙を続け、もう32年が経った。最早、嘗て喫煙者だったなんて顔もしなくなった。

禁煙したあと糖尿病になり、教育入院をさせられたが、糖尿病にとって喫煙は飲酒より悪いと教えられた。   2011・1・5


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