2011年12月26日

◆正恩氏「母在日」は最高機密

渡部 亮次郎


24日産経新聞の1面トップに頭を捻った。

「正恩氏母は在日、最高機密に 口外厳罰、周知の朝鮮総連を危険視」というのである。それなら彼女を内妻にした正日はおかしなことをしたもんだね、となりはしないか。

日本の諺では「隠すことは現る」という。つまり、隠し事は、隠せば隠すほど人々の注意を引き、早く知れ渡ってしまう」ということ。「隠せば愈々現る」「隠すより現る」ともいう。

英語でも似たような諺がある。
What is done night appears bay.  

夜行なわれることは、日中現れる。(旺文社 「成語林」)

北朝鮮だけは、これが通じないと考える人がこうした噴飯物の指導をしているのだとなると、これから先も幾多の噴飯物事件が起きるだろう。

<北朝鮮の金正日総書記死去を受け、朝鮮労働党中枢が新指導者の正恩(ジョンウン)氏の母、故高英姫(コヨンヒ)氏が元在日朝鮮人である出自は正恩氏神格化の妨げになると判断、「最高機密」に指定し、口外すれば厳罰に処す方針を固めたとの内部情報が23日、判明した。

党中枢は事実を知る在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の存在を危険視し始め、関係見直しも検討。北朝鮮の支配の下、重要な資金源ともなってきた朝鮮総連の位置付けが大きく揺らぐことになる。

内部情報は、北朝鮮の民主化に取り組むNPO「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)が党中枢部から入手した。

党中枢が金総書記死去後、正恩新体制出帆に向けて正恩氏をどう奉っていくかを協議する中で、方針が打ち出されたという。

高氏は大阪生まれの元在日朝鮮人で、10代前半の1960年代初頭、一家で北朝鮮に渡り、金総書記との間に三男の正恩氏のほか、次男の正哲(ジョンチョル)氏をもうけ、2004年に死去。北朝鮮国内では一時神格化する動きもあったが、出自については触れられてこなかった。

在日出身者の間では公然の秘密

ただ、北朝鮮国内の在日出身者の間では公然の秘密で、口外した在日出身者が厳罰の対象となる可能性が高い。処罰内容は示されていないが、政治犯収容所送りになるとみられる。

一家の神格化によって権力の正当化を図る金政権にとり、高氏の在日という出自は正恩氏の血筋の純粋さを傷付けかねないことから、「最高機密」扱いの判断が下されたようだ。

かといって、日本に住む在日朝鮮人には周知の事実であるため、同時に朝鮮総連との関係を見直す方針も示されたという。

朝鮮総連は労働党支配下で政権を潤す資金源の役割を担ってきたが、「危険な秘密を知る組織」とみなされ、重要拠点としての存在意義が“格下げ”されるとみられる。

朝鮮総連側にはまだ通知されていないとみられ、弔問で訪朝する幹部に示される見通し。実際に指示が下れば、朝鮮総連側の大きな動揺が予想されるほか、総連を窓口とする日朝関係への影響も避けられない。>産経ニュース 2011.12.24 11:28

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による高英姫

高 英姫(コ・ヨンヒ、1950年6月16日 - 2004年8月13日)は、朝鮮民主主義人民共和国(の最高指導者金正日の夫人の一人で、金正日からは日本風に「あゆみ」と呼ばれ、最も寵愛を受けていたとされる。金正哲・金正恩・金ヨジュンの実母。本名は高春幸(コ・チュンヘン)。本貫は済州高氏。

日本の大阪市生野区鶴橋のコリア・タウンで生まれた。家は父と母親、兄と2人の弟、妹の7人家族だった。北鶴橋小学校在学中の1961年11歳の時、5月に家族全員とともに北朝鮮に渡った。

平壌芸術大学卒業後、1971年頃、万寿台芸術団に入り、舞踊家として活動、そこで金正日に見初められ、出会ったとされている。

また、父の高太文は北朝鮮国内で柔道の指導者となり、同国の柔道の発展に力を尽くしたので、その縁で金正日と知り合ったとの説もある。

1973年7月30日の万寿台芸術団訪日時には、芸術団の一員として、柳日淑(リュ・イルスク)の芸名で来日している。

以前から重病ではないかという説は囁かれていたが、2004年の夏、フランスパリのジョルジュ・ポンピドゥー(Georges Pompidou)欧州病院で癌により死去。

遺体は、豪華な棺に入れられて特別機で北朝鮮まで搬送された。高英姫の訃報に接し、夫である金正日は泣き崩れたといわれる。

家族
父:高太文(コ・テムン) ― 柔道家、プロレスラー
兄:高勝恩(コ・スンオン) ― 北朝鮮国家体育委員会柔道指導員
弟:高勝方(コ・スンバン) ― 平壌演劇映画大学映画技術教員
弟:高勝海(コ・スンヘ)
妹:高英淑(コ・ヨンスク、1958年 - ) 2001年10月アメリカへ
亡命

父について  父の高太文(コ・テムン 日本通名:高山州弘、リングネーム:大同山又道、1920年1月10日生まれ)は柔道家(講道館6段とされる)で、後に大阪でプロレスラーとなった。

日本のプロレス草創期、1956(昭和31)年2月に新団体「東亜プロレスリング協会」を旗揚げしたことでプロレス史に名を残す。大同山は当初より朝鮮民族であることを自ら誇っていた。

しかし、日本タイトルを賭けて行われた同年10月15日から10月24日のウエート別統一日本選手権大会において芳しい成績を収められなかった。

この試合で戦績を残せたのは力道山率いる日本プロレスだけで、敗退した他団体(東亜プロレス含む)は翌年までに活動停止・消滅してしまう。彼は自団体と命運を共にし、プロレスそのものから廃業した。2011・12・24



金正日、生前に4人の女性と同居…結婚は一度

北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が死去し、「将軍様の女性」に関心が集まっている。 金総書記は生前に成恵琳(ソン・ヘリム)、金英淑(キム・ヨンスク)、高英姫(コ・ヨンヒ)、金玉(キム・オク)の4人の女性と同居し、正式結婚は1回した。

◇1人目は離婚女性の成恵琳(ソン・ヘリム)

最初の女性は60、70年代初めの北朝鮮映画界で最高の女優だった離婚女性、成恵琳だった。 金総書記より5歳年上の成恵琳は1937年に慶尚南道昌原(キョンサンナムド・チャンウォン)で生まれ、韓国戦争(1950−53年)当時、左翼系列の知識人である親と一緒に北に渡った後、朝鮮プロレタリア芸術家同盟(KAPF)作家・李箕永(リ・キヨン)の長男・李平(リ・ピョン)と結婚し、娘を出産した。

60年代末に文芸部門を指導した金総書記の目に留まり、夫と離婚して「将軍様」と同居した。 1971年に長男・正男(ジョンナム)を出産したが、金総書記が複数の女性と同居しながら神経衰弱と憂鬱症に苦しみ、02年5月にモスクワで死去した。

◇公式夫人の金英淑(キム・ヨンスク)

2人目の女性・金英淑(1947年生まれ)は4人の女性のうち唯一、金日成(キム・イルソン)主席の許諾を受けて結婚式を挙げた公式夫人。 咸境北道(ハムギョンブクド)人民保安局のタイピストを経て、労働党幹部部で文書員として働いているところ、幹部部事務所を出入りしていた金総書記に気に入られて結婚したという。

金英淑は真面目で従順な田舎の女性であり、夫の浮気を宿命として受け入れた封建時代の典型的な内助者だった。 雪松(ソルソン)、チュンソンら娘ばかり出産し、公式夫人としての地位を失った。

◇最も愛された高英姫(コ・ヨンヒ)

金正日総書記が最も愛した女性は在日同胞だった高英姫。 金総書記の後継者、金正恩(キム・ジョンウン)の生母だ。 1960年代の在日同胞北送当時、親と一緒に北朝鮮に渡った後、萬寿台(マンスデ)芸術団舞踊家として活動していた1970年代半ば、金総書記と同居を始め、04年に乳がんで死去するまで‘金正日の女性’の地位を守った。

1998年ごろ乳がんの診断を受け、片方の乳房を切除しなければならない状況になったが、乳房切除で金総書記の女性の地位が危うくなると判断、医療陣の引き止めにもかかわらず、切除の代わりに抗がん治療を選択した。 これが結局、5年後に再発し、パリの病院で治療を受けている途中に死去した。

◇最期を看取った金玉(キム・オク)

4人目の同居女性は金玉で、金総書記が目を閉じる最後の瞬間まで付き添った最後の女性でもある。 平壌音楽舞踊大学(現・金元均名称平壌音楽大学)でピアノを専攻し、1980年代初めから高英姫が死去するまで、金総書記の書記室課長という肩書で特別補佐をした。

金玉は金総書記の女性のうち唯一、外交活動に同席した。 金総書記の6回の中国訪問と3回のロシア訪問に同行し、05年と09年に金総書記が玄貞恩(ヒョン・ジョンウン)現代(ヒョンデ)グループ会長に会った時も同席した。

金玉は権力機関の主要人物を金総書記に建議するなど、国政全般に深く関与してきたといわれる。 金玉は、金総書記が突然倒れた当時、病状の夫を回復させるために看病する平凡な女性の姿を見せたと伝えられている。
中央日報日本語版 12月21日(水)9時11分配信


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