2006年09月18日

大蒜(にんにく)揚げ

                渡部亮次郎

焼酎によく合うハンバーグを出してくれるので、東京の隅田川沿いにある小さな洋食屋に毎週1回は通う。そこではスパイスの効いた鶏の唐揚げも頼むが、欠かさないのがきゅうり、茄子、茗荷の「お新香」と大蒜のフライである。

大蒜は「くさい」ので、秋田にいる子供のころは一切、近付いたこともなかった。父親も辛いものはカレーですら食べなかったから、東京に出る18歳まで大蒜を知らなかった。

1973年6月、日本担当相に招かれて韓国を初訪問し、朴政権の5閣僚によるキーセン・パーティーなるものに招待され、右脇に侍る、日本の芸者に似たキーセンに大蒜の醤油付けを盛んに奨められた。

キーセンは左脇にも座るが、その人に声をかけては礼を失することになる。なぜならそのキーセンは更に左に座する客の担当だからである。日本と違って自分担当以外のキーセンに色目を使ったら軽蔑される。格式が高いのである。
当時は韓国全土に戒厳令が敷かれていた時代。午後12時(午前0時)以降は外出禁止。何人といえども外に出てはいけない。1968(昭和43)年に北朝鮮のゲリラ隊が青瓦台(大統領官邸)を襲撃して以来の措置なのである。スパイは夜動く、との判断からの措置。

<1968年1月、青瓦台の襲撃による朴正煕(パク・チョンヒ)大統領と閣僚の暗殺を狙って、第124部隊第1中隊第1小隊に所属する31名は、韓国軍第26師団の模擬制服で変装して休戦ラインを突破し、韓国領に侵入した。

1月21日、ソウル市内に入ると、持参した日本製の背広とレインコートに着替え、青瓦台800メートル手前の北漢山まで侵入した。しかし、ゲリラの目撃情報により警戒中だった韓国当局に検問を受け、その場で自動小銃を乱射して逃亡。突入は阻止された。

韓国軍と警察部隊の2週間に及ぶ掃討作戦により、1名を逮捕、29名が射殺され、1名が自爆した。また、射殺は27人で、1名から3名が逃亡したともいわれる。2名が重傷を負いながら軍事境界線を越えて帰国したという話もある。2週間の銃撃戦で韓国側は軍人・警察官と巻き添えの民間人の計68名が死亡した。

逮捕されたのは当時27歳の金新朝(キム・シンジョ)少尉で、彼の供述により北朝鮮における特殊部隊の存在が明らかになった。また、軍事独裁を敷く朴大統領が殺害されれば、韓国民衆は必ず労働者革命を起こすと分析していたという。

朴正煕大統領は事件直後、襲撃未遂事件を北朝鮮が謝罪しない場合は、報復攻撃を行うべきとの書簡をアメリカのジョンソン大統領に送った。

ところが、直後の1月23日にプエブロ号事件が発生する。アメリカは報復の為に空母を派遣するが、北朝鮮と同盟していたソ連と直接戦争に至る可能性を考慮して、すでにベトナム戦争を戦っていたこともあり、ジョンソンは外交交渉を選んだ。アメリカの援助を受けられないと知った朴大統領は軍の北進を断念した。>(ウィキペディア)

ホテルで独り寝したが、夜中に猛烈な腹痛。腸ではなく、胃が刺すように痛むのである。しかし、ホテルに医者が待機しているほど、当時の韓国は豊かではなかった。朝になるまで我慢するしかなかった。幸い、2時間ぐらいで痛みは治まった。

大蒜の仕業だった。7個の塊を横から半分にスライスして醤油に漬け込んだものを、これは強精剤だからといわれて張り切ったものの、戒厳令では相手がいなくて、胃が荒れたものらしい。

帰国後、色々本を読み、大蒜の苦い要素は毒と知った。煮たり焼いたりすれば無毒になるばかりか、有益な要素は決して失われていないことも知った。だからと言って依然、鰹を生で食べる時に生をすりおろして薬味にする程度。向島のレストランで出してくれるフライを愛用するわけ。

以下、世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービスによる勉強。

ニンニク(葫)

ニンニク garlic‖Allium sativum L.

ユリ科の多年草(イラスト)。一名をオオニンニク、古名をオオビル(大蒜)ともいう。原産は、中央アジアまたはインドなどとする説もあるが、野生植物が発見されず明らかではない。

栽培は古く、エジプトではすでに王朝期以前から知られ、ギリシア・ローマ時代にもよく利用されていた。ネギ類のうちでもにおいが最も強いところから、忌むべきものとして、聖域の禁制品とされていた。

古代ギリシア人の間でも,ニンニクを口にしたものは神殿に入ることを許されなかった。

(筆者註:葷酒(クンシュ=ネギ、ニラなど臭気の強い野菜と酒)山門に入るを許さず、と寺の門に彫ってあるところを見ると、仏教も酒と大蒜を嫌うということ。本当は大好き?)

一方、古代ローマ人も強臭を嫌ったが,強精な成分があるとして。兵士や奴隷には食べさせたといわれている。現在の栽培は近東方面から地中海地方、インド、アフリカ、中国、韓国に多く、アメリカにも広がっている。

日本では《本草和名》以後に記載がみられるところから、導入、栽培されたのは10世紀以前からのことといわれる。中国や韓国から渡ってきたとみられ、品種には早晩性があり〈遠州極早生〉〈壱州早生〉〈6片種〉〈佐賀大ニンニク〉〈香港〉などがある。

全国的に栽培されているが,履城,長野,佐賀などの各県に多い。(筆者註:青森県は休耕田対策として長芋と共に栽培を始めた。要するに何処でも名産地になれるということ)。

中国やインドでは生食することもあり、欧米でもラテン系の民族が好んで利用している。おもに鱗茎がケチャップやソース類などの調味料や、肉、魚の香辛料として利用される。

最近ではガーリックパウダーとして加工され、調味料として広く使われている。また葉や若芽が野菜として利用される。

ニンニクのにおいはアリルトリサルファイド(三硫化アリル)で,またビタミン B1を多く含んでいる。 (平岡 達也)

[日本での利用]  ニンニクの薬効は古くから経験的に知られていたもので、日本でも平安時代には《源氏物語》帚木(ははきぎ)の巻に見られるように〈極熱(ごくねち)の草薬(そうやく)〉とも呼ばれ、諸病の治療に用いられていた。

室町時代以後は、夏の土用になると夏まけのまじないとして、ニンニクとアズキを水でのむならわしがあった。門口などにつるして疫病よけとする風は江戸初期から見られる。

食用に関する文献が、江戸時代になるまでその食穢(しよくえ)について以外に見られない。強い臭気と仏教上の禁忌によるものと思われ、1643年(寛永20)刊の《料理物語》にいたって初めてニンニクを使う料理名が記載される。

《江戸料理集》(1674)には鳥肉の汁の薬味やタニシのあえ物に使うとあり、においの強い材料や鳥獣肉の料理に使われたようである。ニンニクは油脂によくなじみ肉類のうまみを引き立てるので、スープ、いため物、煮込み物その他の肉料理などに多用され、日本でも第2次大戦後の洋風料理,中国風料理などの普及にともなって身近な食品になりつつある。 
(鈴木 晋一)

[古代医術]  古代医術ではニンニクは風湿や水病を除き、山間の邪気であるところの瘴気(しようき)を去り、少しずつ長期にわたって食べれば血液を浄化し、白髪を黒くするほか、生で一度にたくさん食べると目を損なうとされていた。(槙 佐知子)

[伝承,民俗]  ニンニクには強烈な異臭にまつわる俗信が多い。イスラム圏にはエデンの園を出たサタン(シャイターン)の左の足跡にニンニク、右の足跡にタマネギが生えたという伝説がある。

イギリスでは幼児をいれたゆりかごにニンニクを飾り,取替子とすり換えようとする妖精よけにした。そのほかヘビ、サソリ、疫病を駆逐する強力な薬草として古くから各地で用いられた。

ハローウィーン(万聖節の宵祭)にはこれを戸口につるして厄を払い、ペスト流行時には死体を清めるのに用いられた。吸血鬼よけの効能も,B. ストーカーの《ドラキュラ》などの作品でおなじみである。

さらに大プリニウスは《博物誌》において、天然磁石をニンニクで擦れば磁力がうせると述べ、ディオスコリデスは《薬物誌》で、ヘビや狂犬による咬傷(こうしよう)や歯痛の特効薬としている。花言葉は〈勇気と力〉。 (荒俣 宏)
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