平野 幹朗
2月定例大阪府議会で大荒れとなった府立大学の移転問題は、議案の中身を大きく後退させることで、議会最終日の3月22日、3年半に亘る迷走にやっと決着をつけた。
つまり当初、生命環境科学科全体の移転計画だったが、途中で大学院のみと急転、挙句の果ては「獣医学専攻と学部の獣医学科」だけに萎ませた形でやっと決着した訳で、この大田房江知事の力量を評して、翌日の朝日新聞朝刊は<知事が求心力を失った>と報じた。
一体この府大移転問題が、知事の求心力喪失云々の評価はさて置き、どうして3年半の間迷走した上、当初計画より大幅後退せざるを得なかったのか。そのあたりのメディアの報道も曖昧に終始し分かり難かったが、ようやくその舞台裏が見えてきた。
この問題は、平成14年9月府議会で自民会派の朝倉秀美議員(生野区・当時政調会長)が代表質問の中で、この構想を提案したことから始る。朝倉議員は、今回の迷走議会終了直後の3月23日、同議員のホームページに「府立大学のてんまつ」という一文を掲載し、提案当時のいきさつを以下のように記述(要約)している。
<この構想は、大阪大学の森下竜一助教授の「バイオの将来性」に関する講演を聴いたのがきっかけで、その際同助教授は、24時間空港を活用して世界の研究者やビジネスマンが集まるりんくうタウンは、バイオ関連の集積地となる可能性があると論じた。
そこで同議員は同助教授に、府立大学農学部(現生命環境科学部)に関わる動植物バイオといった分野もこれに馴染むかどうかを確認したところ、同助教授から「馴染むし、おもしろい」との回答を得た。そこで早速自民派内で検討した結果、特区構想を基に、次代の大阪産業の創出、府立大学の生き残り、りんくうタウンの将来図などについて大きな視点から、議員団の総意として提案することになった>。
この提案に太田知事が飛びついた。21世紀のバイオの重要性・将来性に着目し、りんくうタウンにバイオ研究拠点とバイオ産業の集積を整備すれば、関西国際空港自体の飛躍に繋がるばかりか、その波及効果で低迷するりんくうタウンの活性化にも弾みを付けられるという、一石二鳥の効果に夢を描いたのであろう。
その判断は誰もが評価するところだった。ところが関係者の話を総合すると、知事はここから手法を間違えたと指摘する。即ち、このテーマを大阪産業の創出という府経済のボトムアップ政策として捉えず、府立大学移転のみでバイオ産業の集積を図ろうとしたからだという。
本来、産官学の総動員することを視野に政策を立案する府計画調整部に命じるべきところを、大学担当課のみにこの具体化を指示し、府議会に提案したことが「迷走の主因」となったと指摘するのだ。
この意味では、再建団体に転落寸前の大阪府の経済を脱却させるため、経済・産業界、府下市町村、大学等が総力でバイオ産業の集積をりんくうタウンに求めるという姿勢を知事が示していれば、かくなる反対もしくは摩擦も起きなかったであろうという理屈は筋が通っている。
これについて前出の朝倉議員も、混迷議会終了後ではあるが、同様に<この問題を大学担当課にのみ任せきりにし、本来の大きな議論を進めなかった府の責任、知事自身の熱意と説明に欠けるところがあったのではないか>と、はっきり記述している。
案の定、この知事提案に地元堺市が猛反発した。また地元堺選出府議会議員も超党派による異例の反対行動をとった。長年、府立大学と関わってきた地元にとり大学のあり方そのものが、地元の産学連携やの街づくりに直結した重大事だったからである。
中でも、反対の旗手の一人・堺市選出の西村晴天府議(公明会派・現団長)は、平成17年5月17日の同議員のホームページでこう述べている。<私は、平成16年10月7日大阪府議会一般質問で知事に対し、府当局提案の大学院移転の真意を確認しました。(略)これに対して知事の答弁は、「基本的な考え方(案)」の内容をオウム返しで答えるだけの全く不十分なものでした。(略)
むしろ分譲先の決まらないりんくうタウンの空地の穴埋めに大学移転が持ち出されたとの確信を持ちました。府の移転計画には、@財政難の中で、あえて多額の資金を使ってでも移転をする根拠が薄いこと。A移転により、りんくうタウンの活性化、大学の発展に繋がる実現性が乏しいこと等の問題点が明らかとなったため、反対しているのです。決して私が地元選出の議員であるから反対をしているのではありません>。
更に同議員は、問題議会終了後の3月25日の同ホームぺージ・「迷走議会に反省点あり!」での追記でこう述べている。<知事は、府議会はもとより、堺市を始めとする関係者の理解を得る努力をすべきであったのに、この問題を大学担当課のみに任せきりにし、本来の構想に向けての議論を進めようとしなかった。知事の当事者能力を疑われても仕方ない。しかも本来の議論から逸脱し、堺市と泉州の綱引き、府と地元市との軋轢が生じるような問題になってしまったことは誠に残念である>。
以上、経過の記述は相前後する部分はあるもの、迷走はこのような道筋を辿りながら、知事の思惑とは違った形で曲折を続けた。大阪府はこの間、大学院のみ移転するという修正案を出し直して打開を図ろうとした。が、これが逆に堺市・堺市会、堺選出超党派府議などからの一層の反発を買う一方、利害をめぐる堺市と泉州との確執、更には府議会との対立が深刻にまるなど、輻輳する対決軸を際立たせてきたため、先が全く読めなくなってきたのである。
こんな折、太田知事が動いた。2月定例府議会が始まる直前の2月頃、堺市の木原敬介市長と極秘会談に臨んだ。ところがこれが裏目に出た。つまりこの会談で知事が市長に対し、<大阪府の移転案を受け入れなければ、堺市での府新規事業の撤退を示唆した>という噂がまことしやかに飛び交った。その真偽は今もって定かではないが、噂だけが一人歩きし、事態は泥沼状態に陥っていった。
窮した知事は、事態打開を初めて府議会の美坂房洋議長(公明)に相談、調整を要請した。このため同議長は、すぐ府立大学のトップと面談、移転に対する意向を確認する協議を行った。その結果大学側から非公式ながら、りんくう移転を了承しなければ老朽学舎が新しくならないのなら、移転は生命環境科学研究科の「応用生命科学・緑地環境科学」を除外し、「獣医学科専攻と生命環境科学部獣医学科」のみに止めて欲しいとの要請が出されたという。
美坂議長は、これを斡旋案として堺市の木原市長と太田知事と個別に提示、収拾を迫っている。過去、議長斡旋は各党代表との議会内調整が慣例であったが、同議長は慣例に拘らず行政当局に直接働きかけるという異例の行動に出たことから、両者はこの議長の気勢に押された形で斡旋案を受け入れたという。その結果、迷走し続けてきた府立大学の移転問題は、ここに決着を見たのである。
長くなったが、これが裏舞台である。要するに死体同然の大阪経済経済の再生を、ここりんくうタウンに「世界規模のバイオ産業を誘致整備」で果たしたいとする知事の発想に賛意を寄せ、その行方を府民は凝視してきた筈だ。迷走は不本意だったが、いずれにしてもこれからは府立大学の移転を機に、産官学を総動員して世界を牽引するレベルのバイオ基地を整備し、乾坤一擲、大阪経済を救ってほしい。知事の「求心力の低下」がウソかマコトか、これから真に試されることになるのではないだろうか。(了)
2006年04月17日
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