2006年04月07日

EBMとガセメール事件

            石岡荘十(ジャーナリスト)

「ガセメール事件」は説明する必要はないだろう。が、EBMとは何か。似ているが、若者に人気のある車BMWとは縁もゆかりもない。

EBMはEvidence Based Medicine、つまり(医学的に)「根拠のある医療」のことをいい、ここ10数年、コンピュータの普及と手を携えて、臨床医療のありようを見直そうという考え方だ。
と言っても、なに?

患者が、病院に行くと、大概の場合まず検査。心臓病の場合、検査の定番は心電図、採血、レントゲン。そしてお医者さんの前に座って、診察を受け、くすりの処方となるが、それだけでなく、患者によっては、ときには開胸手術(心臓を切り開く手術)や、ご婦人の場合は子宮の全摘など残酷な治療方法を宣告されることもある。

ところが、そんな重大な診断結果について、それがきちんとした医学的な根拠にもとづいたものか、その医師個人のささやかな経験だけで判断した診断結果なのか、それ以外の選択はないのか、患者は知るよしもない。

それどころか、当の医者でさえ、「ともかく切ってみよう」と、胃を全摘されるケースもあることを、多くの医師が認めている。「根拠のない治療」なんてあるのかと、不思議に思われるムキもあるかもしれないが、それがある。
元フジテレビのアナウンサーで、ニュースキャスターとしても人気のあった逸見正孝さんががんを宣告され、胃の全摘手術の後、1993年のクリスマスの日に死亡した。彼は、終戦の年の2月生まれだから、享年48。

このケースが「ともかく切ってみよう」ということだったかどうかは定かではないが、死後、「切るべきではなかった」、いや「仕方がなかった」と論争を巻き起こした。

にもかかわらず、今日に至るまで「全摘」の根拠、Evidenceについて、入院先の病院からは、必ずしも明快な「根拠」に裏づけされた反論は出されていない。根拠のある医療だったのか、あったとすれば、その根拠は何か。論争はまだ続いている。

乳がんの場合、「乳房切除」がかつては常識だったが、近年、「乳房温存」という選択肢を患者に提示するところが増えてきた。しかし、外科医はともかく切りたがる、と有名大学病院の放射線科の医師は、著書の中で告発している。

医療の現場では複数の治療方法があるとき選択の根拠を患者に説明し、納得を得た上で、治療行為に着手する。これがルールだ。ところが、医療の現場では、医師個人のささやかな知識と経験だけで、人の命に関わる医療が行われている。

それも経験豊かな医師の診断結果ならともかく、特に深夜救急だと、大学病院からアルバイトできた青葉マークの研修医が診断・治療をしている。結果、誤診、医療ミス――。これではいかん、医師個人の技量や経験だけで判断するのではなく、過去のあらゆる経験や研究報告を精査して最適の治療方針を選択しよう。

このようなEBMを目指す考えが日本で議論されるようになったのは、まだ最近のことだ。

きっかけは、1980年の大規模臨床試験だった。心筋梗塞の手術後の患者は不整脈が出やすく、当たり前のように抗不整脈薬を飲むことになっていた。

ところが、不整脈の出た患者をランダムに二つのグループに分けて片方のグループにだけ抗不整脈を処方。結果は薬を飲んだグループの患者の死亡率が、飲んでいない患者の2.4倍も高かった。

臨床試験の結果は、世界中の循環器内科医に大きな衝撃を与えた。信頼性の高い臨床研究結果は、治療方法に確かな根拠を与え、その後の不整脈治療方針に変革をもたらした。先例や研究成果を共有することで、根拠のある治療をしよう、という機運が出てきた。

このころ、パソコンが急速に普及し始め、研究結果や論文が手軽に読めるようになった。そのことが、EBMに拍車をかけた。パソコンの普及がなければ、EBMは実現しなかった。

患者にとっても喜ばしいことだが、問題がないわけではない。まず論文のほとんどは英語だ。英語の専門用語が理解できない医者、コンピュータを使えない老開業医----にとっては厄介な時代になったといえるだろう。

最新の医学知識の“賞味期間”は5年といわれる。だから生涯学習が「いい医師」の必須条件ということになる。絶えず、最新最良の治療法を掲載したデータベースをウオッチしなければならない。そんな医師を捜し当てるのは容易な事ではない。

そういえば、こんなことがあった。ガセメール事件である。信ずるに足る根拠もなしに、他人を誹謗中傷した坊やがいた。

かと思えば、例の、日の丸ウイニングラン事件。根拠もないのに、思い込みで偏向呼ばわりをするメールが飛び交ったこともあった。

医療に限らず、喧嘩を吹っかけるときには、根拠を確認し、クリーンハンドであることが、最低のルールというものだろう。
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