2012年01月24日

◆国政に3度目の劇場型政治は不要だ

杉浦 正章


「東京で生まれた男やさかい、大阪にはようついていかん」と名歌をもじらせてもらう。「大阪都構想」なるものをひっさげて圧勝した市長・橋下徹の鼻息が荒い。維新の会で全国規模の衆院選候補を擁立、国政を動かすのだそうだ。

果たして衆院の過半数を制して、大政党へと躍進できるのだろうか。全国規模ではとてもとてもその勢いはない。出来ると思うお方は“誇大妄想”とでも申そうか。燃えているのは大阪のマスコミにはやされて舞い上がったご本人だけではないか。もう日本に「劇場型政治」は不要だ。

「大阪都構想がゴールではない。大阪がこのように動き始めているのなら、次なる目標として日本国も動かしていこう」と、橋下は国政への党勢拡大を宣言。「本年勝負させてください」と言い切った。府知事と市長選で圧勝した“鼻息”を継続させている。

しかし問題は「最初のうまさが持続する」かどうかだ。折から政局は消費増税をめぐって、与野党が激突不可避の形勢であり、それを大阪から批判して既成政党の体たらくを突く効果は確かにあるかも知れない。自民党政権が飽きられ、民主党政権が“あきれられた”現状を見れば絶好のチャンスと映るかも知れない。

過去の新党ブームの中では、1976年の新自由クラブに似たようなムードが起きるかも知れない。

新自クは、折からロッキード事件批判に乗って清新さを売り出し、同年暮れの総選挙で躍進した。それでもたったの18議席だ。結局消滅したが、そこまで果たしてゆけるか。ゆければ立派なものだが無理がある。

まず第一に、大阪が騒いでいるだけという状況がある。元官房長官・野中広務は「日本は大阪のような雰囲気は出てこない。あれはマスコミが煽って作り出したもの」と手厳しい。浮動票は動く可能性があるが、全国で地滑りが生じるほどにはなるまい。

さらに橋下のタレント首長特有の政治手法に問題がある。テレビ向けに一つのテーマを決め、イエスかノーかの判断を求めて論破する。弁護士の経験も相まって口から先に生まれたような論陣をはり、相手を追い詰める。裁判に勝つなら何でも利用する弁護士型劇場政治だ。元首相・小泉純一郎のように敵を作ってたたくような手法が、今の国政に通用するだろうか。(略)

大阪都構想なるものが全国規模で関心を呼ぶだろうか。確かに2重行政の解消は自治体行政の重要ポイントだが、まず「隗(かい)より始めよ」と言いたい。国政に向けて“盛り”がついたようになって、足元がおろそかになっていないかということだ。

維新の会で府知事と市長を獲得したのだから2重行政解消の絶好のチャンスではないか。国に制度改革を求める前に自分の足元の出来ることから手をつけることが誠実な行政というものではないのか。

加えて大阪都構想は重要ポイントに矛盾がある。大阪、堺両市を解体し、広域行政を担う「都」と福祉など身近な行政サービスを受け持つ10〜12の「特別自治区」に再編する制度改革だが、これが2重行政どころか“12重行政”を生む恐れがある。公選区長と区議会を置くことにより、コストの増大は避けられず、手続きも煩雑化するだけではないだろうか。

要するに、国政レベルから冷静に見れば橋下政治はタレント型の劇場型パフォーマンス政治に尽きる。過去に劇場型政治がこの国にプラスをもたらしたことがあったか。小泉は所得格差を拡大し、この国の社会にぎすぎすした不公平感のみをもたらした。

政党レベルでの劇場型政治の最たるものが民主党政権の2代にわたる暗愚首相が行ったものだが、国民に根強い政治不信だけをもたらした。三度目の正直でまた劇場政治かと思うと、もううんざりだ。遅れてきた劇場政治に国民は3度もだまされることはあるまい。

首相・野田佳彦は橋下政治について「若干、劇場型になっている。府民が1人のスターを仰ぎ見ているだけでは良くない」と、野田にしては最大限の表現で警鐘を鳴らした。

維新の会は民主党とは相容れない部分も大きく、むしろ自民党、公明党との接近が言われている。既成政党側は維新の会を利用できるなら利用しようという魂胆が見え見えであり、だれも「橋下独断専行政治」を諫めようとはしない。

そこに「危うい政治」をのさばらせる危険が内包されているのだ。いずれにせよ解散は間近に迫り、選挙は既に終盤戦とささやかれる。二大政党激突のはざまに維新の会が全国規模で割り込める余地は少ない。
    <「今朝のニュース解説」から抜粋>  
      (政治評論家・元時事通信編集局長)


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