2006年10月06日

◆青年は地方を目指さない



         渡部亮次郎

「青年は荒野を目指す」という小説だか唄だかがあったが、あれをもじって言えば「青年は地方を目指さない」という冷厳な実態に突き当たる。

以下、朝日新聞の報道である。

<新人弁護士、東京一極集中 合格者増した効果出ず

今秋、司法修習を終えて弁護士登録した1144人の半数が東京に集中していることが、日本弁護士連合会(日弁連)のまとめで分かった。

一方で山梨、函館、釧路、鳥取の弁護士会への登録はゼロだった。

身近に相談できる弁護士がいない「司法過疎」を解消しようと、政府は司法試験合格者数を大幅に増やしてきたが、東京一点集中は進む一方で、日弁連は地方で働くよさを知ってもらう計画に初めて取り組む。

新たに弁護士登録したのは04年の司法試験合格者で、今月、司法研修所を修了した1386人の一部。その他は裁判官、検事の道に進む。

全国50の地裁所在地別にみると、新人の登録は東京が579人。大阪128人、愛知55人、横浜48人が続く。

一方、ゼロの4カ所のほか岩手、秋田、徳島、高知には1人、栃木、福井、富山、山形、旭川には2人しか新人は来なかった。

すでに全国に約2万人の弁護士がいるが、5割弱は東京に集中。司法改革で、政府は司法試験合格者を90年の500人規模から増やし続け、昨年は約1500人が合格した。

しかし勤務地を選ぶのは本人の自由。高給と言われる渉外事務所や企業関連の仕事が多い東京の新人登録率は03年以降昨年まで57%、53%、56%で推移し、人気は根強い。

来年には新司法試験の合格者も加わり、修習修了者の数は今年より約1000人増える見通し。「大都市だけでは就職難は必至」という危機感から、日弁連は各地の弁護士会の情報提供などを通して、地方の弁護士を増やす活動を進める。

地方の司法の活性化などを目指し、今年6月にできた日弁連弁護士業務総合推進センター副本部長の秋山清人弁護士は「1人でもできるのが弁護士の仕事の魅力だが、最近の若手は大都市・大規模事務所志向が強い。地方で活動するやりがい、生活の充実度を知ってもらえば状況は変わると思う」と話している。Asahi Com 2006年10月05日14時14分)

「日弁連は地方で働く良さを知ってもらう計画に初めて取り組む」というが、地方で働く良さを知っても行かないのが真実ではないだろうか。

私は東北地方の個人病院の後継院長探しを依頼されて数年頑張ったが、遂に捜せなかった。

その原因は待遇とか生活条件とかではなかった。「地方にはいい学校が少ないから、子供の進学がブレーキになる。最新の医療技術もみがけない。いい病院が無いから、健康維持に問題が起きる」というのが真実だった。弁護士も同じではないだろうか。

「最近の若手は大都市・大規模事務所志向が強い」と今年6月にできた日弁連弁護士業務総合推進センター副本部長の秋山清人弁護士は仰るが、それは若者の罪でも我がままでもない。人生を効率良く生きようとしているからだ。

61年前、史上初めて敗戦するまでの日本は、親の面倒を長男が見るのは当然とされていた。だから長男は親はもちろん兄弟からも一目置かれていた。

ところが敗戦と共にマッカーサーが押し付けた文化は「効率的」
「合理的」だった。憲法も民法もその方向に変えられ、早い話が日本社会は崩壊した。

その上に経済の高度成長路線と高学歴社会を構築したために、人口の都市集中、というよりも東京圏への過度な集中となった。社会を効率的、合理的に運用すれば、当然の帰結である。

外に出て手を上げただけでタクシーが来る。劇場は近い、音楽会もしょっちゅう開かれる。買い物も便利、飲み屋も近い。有名大学も集中し手居る。子供の進学を考えれば、地方で暮らそうと言う親は、ちょっと変わり者と言われるわけである。

1970年代の田中ブルドーザー内閣以来、地方を守るためにいわゆる公共事業を通じて国家予算をばら撒いてきたが、とうとう息切れ。国家財政は悲劇的な状態になっている。

そこで小泉内閣がようやく大鉈を振るい、公共事業を減らして政治の「効率化」と「合理化」を断行した。その結果が、地方都市メインストリートの連続シャッター街となって現れたわけで、これも当然の帰結なのである。

若者はそうした地方を逃れて都会生活を満喫した。しかも大変な努力を合理的、効率的に展開した結果、司法試験合格という滅多にないエリトコースを獲得した。それなのに、また悪条件の待っている不合理で非効率的な地方へ行く、という決断ができないのは当然である。

「地方で活動するやりがい、生活の充実度を知ってもらえば状況は変わると思う」という日弁連の見通しは法律の3段論法に反している。只の苦し紛れの見解ではなかろうか。少なくとも戦後80年の日本歴史の流れには逆らった見解である。

司法試験合格者を90年の500人規模から増やし続ける政府の司法改革なるものがそもそも地方を馬鹿にしている。「増やせば溢れて地方に落ち延びる奴も出てくる!」。こういう馬鹿なことを考える奴を『試験に強い馬鹿』という。

地方には医者も足りない、弁護士は来ない。都会では今に弁護士だらけ。アメリカのように弁護士は終いに訴訟を起こすよう奨めに歩くようなことにならないか。都会では既にそうだが。

「分ったようなことを言うな」と叱られそうだが、我々が味わっているのは、「国家100年の計」ならぬ80年ぶり「敗戦の悲しみ」なのではなかろうか。しかし、困ったなぁ。2006・10・05

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