2012年02月08日

◆流行歌手の晩年(続き)

渡部 亮次郎


新橋喜代三(1903-1963)

西之表島出身。大正5年、芸者に出る。15年に鹿児島で小原節の歌い手として名をあげ、昭和6年にレコードデビュー。9年に日本橋三越の鹿児島名産展での「鹿児島小原節」でヒット。10年には「明治一代女」で大ヒットを飛ばす。

12年に中山晋平と結婚、引退。ステージの前には立てひざで樽酒を飲む事で知られ、中山晋平のプロポーズも樽酒を家に贈るというものだった。中山晋平の死後は、一時期、歌手として復帰したが、熱海で暮らしながら中山晋平音楽祭などに関与した。

杉狂児(1903-1975)

福岡出身。昭和11年に美ち奴とのデュエット「うちの女房にゃ髭がある」が大ヒット。映画出演は36年の「東京ドドンパ娘」が最後になったが、テレビなどで活躍。50年9/1午前3時、世田谷中央病院で心筋梗塞で死去。葬儀は世田谷区の妙寿寺で行われた。本名は杉禎輔。

鈴木三重子(1931-1987)

福島出身。31年に「愛ちゃんはお嫁に」が大ヒット。33年には藤山愛一郎や山野愛子らと「愛ちゃん会」を結成した。62年3/12午後0時30分、肝硬変で都立府中病院で死去。本名は菊池ミヘ子。

瀬川伸(1916-2004)

函館出身。昭和14年デビュー。26年「上州鴉」がヒット。その後も40年頃まで歌手を続ける。娘の瀬川瑛子も歌手。平成16年3/14午後2時3分、心不全で死去。

関種子(1907-1990)

東京生まれ。東京音楽学校を卒業後、「日本橋から」「窓に凭れて」、10年には「雨に咲く花」などのヒットを矢継ぎ早に連発し、草創期のコロムビアを支えた。

戦後は藤原歌劇団に所属し、長門美保、佐藤美子とコンセールFを結成するなどした。平成2年6/6午前9時5分、急性腎不全で熊谷の聖ヨゼフクリニックで死去。葬儀は早稲田の亮朝院で行われた。うたごえ運動で知られる関鑑子は実姉である。女優の関弘子は娘。
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高田浩吉(1911-1998)

尼崎出身。昭和10年に「大江戸出世小唄」で歌手デビュー。同名の映画の中でこの歌を歌った事から「歌う映画スター」第1号として評判になる。同26年に松竹京都に復帰。鶴田浩二は地方巡業の際に浜松で拾った弟子にあたり「浩二」の「浩」は「浩吉」の「浩」にちなんだもの。

京都に住み、夜の10時以降は取材禁止と、公私の別をはっきりとさせた人であった。元々、歌手は副業だったためか、晩年は美声の衰えを隠せなかった。平成2年10年5/19午前8時32分、肺炎のために京都府北区の病院で死去。本名は梶浦武一。娘の高田美和も女優である。

高峰三枝子(1918-1990)

東京の高輪出身。筑前琵琶の宗家であった高峰筑風の娘。東洋英和女学校卒業後、父の急死もあり、昭和11年に松竹大船の女優になる。15年の榛名湖を舞台にした「湖畔の宿」は後に、センチメンタルな曲調や歌詞が時局に不適合とプレス中止となる。しかし曲中の台詞が、死地へ赴く兵士の心情とあいまって、特攻隊、前線兵士の間では歌われ続けた。

さらにビルマのバーモ長官が高峰のファンで、来日時に東条首相など政府首脳の前で高峰が「湖畔の宿」を歌うといった事もあった。21年には松竹を退社、英文雑誌社長と結婚して「百万円の結婚式」と話題になったが29年に離婚。

昭和天皇の園遊会の席上、感極まって泣いてしまった話は有名。岐阜県明智町の日本大正村の初代村長もしていた。平成2年3月にはインド旅行に行くなどしていたが、4/18に倒れ、5/24には容態が急変、5/27午後5時30分、世田谷区の日産厚生会玉川病院で死去。

上原謙は高峰に取りすがって泣いたという。本名は鈴木三枝子。住まいは大田区田園調布3丁目だった。

竹山逸郎(1918-1984)

浜松出身。昭和19年に慶応大法科卒業後、18年に歌手デビュー。22年、「酒は涙か溜息か」の戦後版を目論んだ「泪の乾杯」が、A面の平野愛子「港が見える丘」ともどもヒット。

23年の「異国の丘」は、当初、作曲者不詳のまま、NHKラジオの「のど自慢」で8/1に復員兵の中村耕造が歌い、かつてない勢いで鐘が乱打された。その後の調べで作曲者は吉田正と判明。

晩年は学習塾を経営。酒豪で1升酒も平気であった。59年4/4午後4時半、肝機能障害で中野区の国立療養所中野病院で死去。本名は竹山逸平。葬儀は練馬区のセブンズデー・アドベンチスト関町教会で行われた。

田谷力三(1899-1988)

神田生まれで旧士族の家系の根っからの江戸っ子。19歳からは浅草オペラのトップスターとして本領を発揮。観音劇場、金竜館などで、関東大震災で浅草オペラが消滅するまで活躍した。

バラックに暮らしながら、青山墓地で発声練習をし、23年5月にNHKラジオ「陽気な喫茶店」でカムバック。61年には不忍池にゴンドラを浮かべてカンツォーネを披露。

62年には上野精養軒で米寿記念コンサートを開くが、声量は全く衰えなかった。「老いらくの恋」と騒がれ83歳で再婚した愛妻を亡くし、自身も心臓発作に倒れるが回復、63年3/13、豊島区の教会で親類の結婚式に「恋はやさし」を歌ったのが最後となった。

3/14に倒れ、3/30午後0時10分、心筋梗塞と心不全で千代田区の日本歯科大病院で死去。89歳だった。化粧をせずに舞台に出るのは失礼という考えから、最後まで素顔でステージに立つ事はなかったという。

津村謙(1923-1961)

富山出身。魚津中卒業後、上京し、作曲家の江口夜詩の門下となる。「ビロードの歌声」と呼ばれて23年の「流れの旅路」がヒット。26年には「上海帰りのリル」が爆発的なヒットとなった。36年11/28朝7時半、杉並区神明町の自宅車庫の車内で、意識を失っているところを母(62)に発見され、医者が呼ばれたが間もなく死亡した。

午前1時頃過ぎに練馬区向山町の作曲家、麻雀をしていた吉田矢健次の家から車で帰宅、朝早い時間で妻や母を起こす訳にもいかずにエンジンヒーターをかけたまま寝込み排気ガスが車内に充満、一酸化炭素中毒になったらしい。車庫のシャッターを下ろしていて、飲酒の形跡もなかった。本名は松原正。小平霊園に眠る。

鶴田浩二(1924-1987)

浜松出身。巷間伝えられているような飛行機乗りではなく、見送る立場の飛行整備士であったというのは複数の海軍関係者の見解。28年には大阪で暴漢に襲われる。

同年には東宝と契約。歌手としても、27年にポリドールから「男の夜曲」でデビューし「街のサンドイッチマン」、30年に「赤と黒のブルース」などがヒット。

35年に東映と契約し、38年の「人生劇場・飛車角」が東映任侠映画の最初となった。45年には「傷だらけの人生」がヒットし、この頃から戦没者遺骨収集のチャリティーコンサートを行う。晩年は特攻隊に絡んだ右寄りのスタンスの発言で知られた。

春日八郎との不和はあまり知られていない。耳が悪く左手を耳にあてて歌うポーズは有名。映画は60年の「最後の博徒」が最後の出演、咳がひどくなり、61年肺ガンで2ヶ月半入院し、62年5月に再入院、月末には1週間自宅に戻ったものの、6/16午前10時53分、慶応病院の5階で死去。本名は小野栄一。葬儀では海軍の知人らに「同期の桜」の合唱で送
られた。

ディック・ミネ(1908-1991)

徳島出身。父は土佐高校創立者。古賀政男の推薦もあって昭和9年に歌手デビュー。芸名はスキー場で悪友に付けられたもので、ディックは男性器を意味する。同年「ダイナ」がヒット。「二人は若い」「人生の並木路」「旅姿三人男」「上海ブルース」などのヒットを飛ばす。

晩年には学生時代に相撲部で骨折した後遺症から車椅子生活となったが、歌手生活は続けた。平成3年4月に前立腺肥大で入院、6/10午前4時7分、急性心不全で埼玉県飯能市の病院で死去。享年83。本名は三根徳一。

徳山?(たまき)(1903-1942)

神奈川の藤沢出身。東京音楽学校卒業後、武蔵野音楽学校の講師となるが、佐藤千夜子のピアノ伴奏をした縁から昭和6年に流行歌手に転向し、「侍ニッポン」でスター歌手の仲間入りを果たした。

「侍ニッポン」では「新納(にいろ)鶴千代」を「新納(しんのう)鶴千代」と誤って歌ったまま、それがレコード発売された経緯がある。四家文子と歌った「天国に結ぶ恋」がヒット。9年には藤山一郎、小唄勝太郎、渡辺はま子と共に皇族懇話会で美声を披露、それまで地位の低かった流行歌の扱いが、この御前演奏で変わったともされる

戦中はノモンハンの陸軍飛行隊をテーマにした「空の勇士」や15年の「隣組」などの戦時歌謡で一世を風靡した感がある。他にも14年には「大陸行進曲」「太平洋行進曲」、16年には「戦陣訓の歌」なども吹き込んだ。17年1/28午後5時に慶応病院で敗血症で死去。神奈川県藤沢市の常光寺に眠る。

轟夕起子(1917-1967)

東京出身。「お使いは自転車に乗って」がヒット。42年5/11午後5時15分、慈恵医大第3病院で、閉塞性黄疸のため死去。本名は西山都留子。

トニー谷(1917-1987)

銀座生まれ。昭和26年に中国から復員し、アニー・パイル劇場で進行係をしたのを皮切りに日劇ミュージックホールで司会をつとめ、キザなメガネにチョビヒゲ、そろばん片手の異色なポーズと毒舌で一世を風靡。「さいざんすマンボ」などを吹き込む。

引退後はハワイで生活。61年12月、渋谷ジアンジアンでの「トニー谷ショー」が最後の舞台。62年7/16午前0時14分、港区の慈恵医大病院で死去。享年70。

http://www.geocities.jp/showahistory/

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