2012年02月25日

◆明日もコロッケ

渡部 亮次郎


コロッケもまた田舎少年には東京で合って初めて知る「おかず」だった。戦前の秋田の田圃に揚げ物のあるわけが無い。大学の食堂で初めて知った。恥かしい話だ。

女房貰って嬉しかったが、出てくるおかずは毎日コロッケでうんざりという趣旨の歌。都会では肉屋の店頭で、揚げながら売っていたものらしい。歌は、要するに女房は料理をしない、という意味になる。

東京でも今や肉屋は次々に姿を消していて、コロッケはスーパーやデパートへ行かなければ求められなくなった。母親に用を言いつけられた小学生が、受け取った店頭で、熱々のをつい1つにかぶりつくという風景は見られなくなった。

コロッケは、揚げ物料理の1つ。ホワイトソース(ベシャメルソース)や茹でたジャガイモを潰したものを俵型や小判型に丸め、小麦粉、卵、パン粉を衣としてつけ、ラードなどの食用油で揚げたもの。カロリーは鶏卵=80キロカロリーに対して120キロカロリーある。

挽肉や蟹肉など魚介類やタマネギのみじん切り等野菜を加熱し混ぜる場合が多い。 ホワイトソース(ベシャメルソース)を使ったものはクリームコロッケと呼ばれ、カニクリームコロッケなど具材の名が冠されることもある。

豚カツなど他のカツレツ、フライ料理と同種の料理法だが、既に中身に火が通っているため2度揚げする必要がない。ジャガイモはほくほくした男爵イモが相性がよい。盛り付けの際には、千切りキャベツを付け合わせとして盛ることが多くある。

コロッケは一般的な家庭の味でもあるが、ウスターソース等をかけて食べる洋食料理であり、精肉店で持ち帰り用惣菜として古くから販売されている極めて庶民的な惣菜でもあった。

揚げたてが格段に美味しく、買ったその場で食べることもあったそうだ。勿論冷めても十分美味しい。都会ではスーパーやデパートで揚げる前のものを売っている例が多くなった。もちろん面倒だから揚げたものを買って行く人が圧倒的に多い。

コロッケ単体ではなく、料理に加えて使用する例も多々見られる。たとえば、コッペパンなどに挟んだサンドイッチはコロッケパン、蕎麦やうどんにコロッケをのせたものはコロッケ蕎麦・コロッケうどん、カレーライスにのせたものはコロッケカレーと呼ばれる。

日本のイタリア料理店でライスコロッケと呼ばれるコロッケは、シチリア名物のアランチーニen:Aranciniという料理である。

日本にどのようにコロッケが登場したかは、あまり明らかになっていない。1つの有力な説には「コロッケ」という名前は、フランス料理の付け合せであったクロケット(仏:croquette)が転じたものであるというものがあるが、フランスのクロケットはミンチにした魚肉やとり肉などを混ぜたクリームコロッケに近い物が主流である。

ただしジャガイモをつぶした物にパン粉をまぶして揚げて作ったクロケットのレシピもある。またオランダ名物で有名なクロケット(kroket)と呼ばれる料理もある。

こちらはホワイトソースでできたものの他ジャガイモで作られたものもあり、ジャガイモコロッケの起源ではないかとの憶測は多いが、フランスからオランダにクロケットが伝播したのが1909年とされ、日本のコロッケの普及時機に比すると信憑性は薄い。(en:Croquet (food))

日本におけるコロッケの普及には、カレーライス、肉じゃがと同様、大日本帝国海軍の糧食として採用され、艦艇乗組員の間で人気のメニューになったことが大きいといわれている。

特に、戦前に大湊警備府があった青森県むつ市では、北海道の道南で栽培された男爵イモで作ったコロッケが『海軍コロッケ』の元祖であるとして、横須賀のカレー、舞鶴や呉の肉じゃがに対抗して、コロッケによる街興しを行っている。

小説家、村井弦斎が明治36年(1903年)に発表した当時の大ベストセラー「食道楽」にコロッケのレシピが掲載されている。 1917(大正6)年に益田太郎冠者の『コロッケの唄』が大流行し、大正時代にはカレーライス、豚カツと並び3大洋食として既に人気があったとされる。

くだくだと綴ってきたが、いまや家庭の中はそれぞれに「多忙」.夕餉の湯気などはトウの昔で、コンビニ弁当を、せめて電子レンジで温めて、それでお終い、という家庭も多いらしい。

コロッケの歌どころではない、今日もコンビニ弁当、明日もコンビニ弁当という昨今なのだ。

(参照=ウィキペディア)

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