2006年10月16日

◆山紫水明は貧しい


       渡部亮次郎

秋田県の角館から鷹角(ようかく)線に乗ると約50キロ、渓流と併せて紅葉も美しい。 日本一だと思う。今年は11月初旬までだそうだ。

私は1960年から盛岡に満4年在勤してNHKの県政記者をやったが、岩手県内に渓流の美しさを見るたびに貧困を感じて暗くなった。

山紫水明と言えば、京都の人たちが京都を自慢する言葉のように言う。山紫水明處という観光名所すらある。

江戸後期の儒学者、頼山陽が晩年、自宅の庭に建てた書斎。京都の鴨川沿いにあり、有名な『日本外史』はここで執筆されたといわれている。

草堂風の建物で、小さな床の間のついた4畳半の座敷と2畳の書斎、約1畳の水屋と板の間、廊下。

鴨川と東山の眺望は抜群で、「山紫水明」という言葉は、彼がこの書斎に使って以後、一般に使われるようになったとか。

<山紫水明さんしすいめい=日に映えて、山は紫に、水は澄んではっきりと見えること。山水の清らかで美しい様。自然の風景を愛でる語として、日本では最もなじみの有る表現になっている。

山が紫に見える事は実際に有るが、それよりも、紫は昔から尊い色、目出度い色とされており、「山紫」にもそのような褒め言葉の意味が含まれている。(「岩波四字熟語辞典」)。

確かに東北地方のブナ林は秋には真黄色になったあと落葉すると枝が太陽をあびて紫色に見える。直後に雪を被るが。

京都の貴族や文人墨客は「生産」と無縁だから、川の水の濁らぬことと東山の眺望の抜群であることを楽しむだけで良いわけだが、農林水産業で生きて行くしかない岩手県ではそんなに悠長なことは言っていられない。

山が紫とはブナ林のことだろうし渓流が濁っていないのは山肌が石で出来ており、そこには雑木しか生えないことを示している。このままでは貧乏と縁切りできないと宣言されているようなものだ。ブナは建築用材にも木炭にもならない。林野庁がブナ林を杉に植え替えにかかる所以だ。

京都はともかく、岩手県は岩の県といわれる県だから、雑木は木炭や薪にしかならない。カネになる松、杉,檜(ヒバ)などは生えない。これらの木は地下に根を張れないからだ。山紫水明は貧しい山の代名詞のようにさえ思えた。

県都盛岡郊外、小岩井牧場周辺など岩手山周辺の土地にはせいぜいキャベツなどの野菜しか植わっていない時代が長く続いた。岩手山という火山から降った火山灰による酸性土壌だから作物の種類に限りがあった。カネになる稲を植えようにも田圃の水持ちがいけない。せいぜいソバを植えるしかなかった。

ところが戦後、ビニールというものが出来て革命がおきた。岩手山麓でも水田の底にビニールを敷けば水は漏らないことになったから畑から水田への転換が大いに行われた。滝沢(今も村)では特に盛んだった。岩手はそうやってアワ、ヒエとの縁を切って行った。

その頃の北上川はひどかった。水が真っ赤だったからだ。それは上流にある松尾村の硫黄鉱山から流出する排水をそのまま北上川が受けていたためで、柔らかに柳青める、と啄木が宣伝してくれても、北上夜曲が唄われても、水清き流れが実在しないものだから来た客はがっかりして帰ったものだ。

またリアス式の三陸海岸も肝腎の道路が未開通ではどうにもならなかった。従って観光資源は無に等しかった。松尾の開拓農民が逃散した跡地を県が坪10円でどうだと東京から赴任してきた記者たちに誘いかけても誰も買わなかった。

まだ、東北自動車道や東北新幹線の話は具体化しておらず、知事の演説に「観光」と言う言葉は登場しなかった、と記憶している。

その北上川の清流がもどっている。下流花巻のイギリス海岸も無事だろう。宮沢賢治のことも、疎開していた高村光太郎のことも鮮やかによみがえる。高速道路も新幹線も出来た。岩手と秋田は出来秋の美味と紅葉の秋を迎える。

鷹角(ようかく)線・・・現在の秋田内陸縦貫鉄道(角館−鷹ノ巣)

註:<頼山陽 1780‐1832(安永9‐天保3)らいさんよう

江戸後期の儒学者,詩人。名は襄(のぼる),字は子成,通称は久太郎,
山陽は号。別号三十六峰外史。朱子学者頼春水の長男として大坂に生まれた。

京都文人社会でしだいに地歩を占め,1822年には三本木の水西荘に移居,ここに書斎〈山紫水明処〉を営んで,門弟教育のかたわら多くの文人墨客と交わり,各地を遊歴し,詩文・書画をつくり愛好する自由な境涯を楽しみとした。

1826年《日本外史》を完成,翌年松平定信に献上。続いて《通議》《日本政記》の執筆にとりかかり,前者を完成,後者をほぼ脱稿して病没した。

《日本外史》《日本政記》は簡潔な名文で多くの読者を得,その史観は幕末・維新期の思想界に大きな影響を及ぼしたといわれる。

著述は以上のほか門弟たちがまとめた《山陽先生書後題跋》《山陽遺稿》などがあり,《頼山陽全書》に伝記とともに集大成されている。頼 祺一>
世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービスより。
2006/10/15



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