2012年03月13日

◆トウ小平時代の中国

渡部 亮次郎


日中国交回復の直前の頃、最早下火になっていた文化大革命は、毛沢東の死と共に終結した。その後、毛沢東の隠し子といわれた華国鋒が毛沢東の後を継いだが、浮き上がっていた。

1978年8月に日中平和友好条約締結交渉のため訪中した園田外相に随行。会談には私も加わった。この種の会談には政務の秘書官は加えないのが通例なのに加われた。彼が既に中央権力を失っているなと感じた。果たして、この年12月の第11期3中全会でトウ小平が実権を掌握した。

トウ小平時代の中国は、政治体制は中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた。

なるほど、経済の改革開放を進めるには資金と技術が欠かせないが、さしあたりそれを供給できる国は日本しかない。だからあれだけ遷延させた日中平和友好条約の締結交渉が急転直下、調印となったのも、ここにわけがあったのだ。

当時の日本大使館は、トウの復活が、今後の日中関係に決定的な変化をもたらすという情報をとれていなかったし、本省の中国課に分析能力は無かった。独り外務大臣園田直だけは秘密ルートから情報がはいってい
た。

その結果、経済の改革開放が進み、「世界の工場」と呼ばれるほど経済が急成長した。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。

資金は専ら軍備の強化に使われ、海軍が強化され、その先に尖閣諸島と称する日本領土が邪魔をしているものだから「尖閣諸島は元から中国領」と言い出した。

中国政府は、中華人民共和国の分裂を促すような動きや、共産党の一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢を取り続けている。1989年の六四天安門事件や2005年の反国家分裂法成立などはその一例である。

1989年の六四天安門事件は、民主化要求の大規模政治運動であったが、当時ソビエト連邦(ソ連)ではミハイル・ゴルバチョフ書記長により、経済の自由化のみならず、政治の自由化まで推し進められようとしていたが、?小平の自由化は経済に限定されていた。

1985年にゴルバチョフが北京を訪れた際、世界はゴルバチョフを賞賛するとともに、トウ小平の改革開放路線を中途半端なものとして批判した。この空気は、国内にもくすぶり、共産党員の中にも「政治開放が必要」との声も上がるほどであったが、その延長線上で天安門事件が起こる。

トウ小平は、天安門広場に集まった学生に戦車と銃を向け「経済は開放しても、共産党独裁は変えない」という強いメッセージを示した。1988年にベトナム支配下の赤瓜礁を制圧する(赤瓜礁海戦)。

ソ連が崩壊したのは、その2年後の1991年である。国家の維持と繁栄という視点からすれば、トウ小平の選択はゴルバチョフを凌駕したといえる。その後、経済の開放を強力に推し進めた結果、国民の生活水準は大きく飛躍した。

今でも、沿岸都市部と内陸農村部での経済格差は大きなものがあるが、内陸部の農村の生活は王朝時代から貧しく、電気も水道もない生活を近年まで続けてきたため、現在はその当時に比べれば雲泥の差のある生活を送るにいたっている。

このため、都市部との格差が大きいからといって、その格差を糾弾する強い意識は生まれてはこない。昨今、市場経済を至近に見るにつけ、民主化すればするほどに、貧富の差がなくなるどころか、拡大してゆく現実を国民は知ってしまった。このため、かつての「民主化要求」はもはや革命の動機にはなっていない。

地方政府の役人(共産党員)の腐敗や職権の濫用が多いことが問題となっている。特に改革開放政策開始後は、満足な補償もないままに土地を強制的に収用したり、法的根拠のない税を徴収したりすることが多い。

生産手段を国有化しながら経済活動は自由化すれば、共産党幹部を賄賂で篭絡した方が問題は早く解決する。だから「汚職」は構造的なもので、増えこそすれなくなる事は絶対にない。

地方政府の対応に不満を持った農民や労働者は中央政府へ訴え出たり、場合によっては暴動を起こしたりしており、大きな社会問題となっている。政府高官でも汚職を行った者に対しては死刑が適用・執行されており、2000年には成克傑(元全国人民代表大会常務副委員長)が収賄罪で、2007年には鄭篠萸(元国家食品薬品監督管理局長)が収賄罪でそれぞれ死刑が執行されてはいる。

しかし「欲」は人間の根源的なもの。汚職は永遠・不滅。長嶋のいう巨人軍である。

中華人民共和国の司法に関してはいくつかの問題が内外から指摘されている。中華人民共和国の警察などでは中華人民共和国政府(中国共産党政府)を非難する者に対しては動きが敏速ですぐに逮捕を行い、密かに拷問での自白強要を行っているとも言われている。

司法も裁判所の制度も日欧米の諸外国と大きく異なっている。死刑の場合は判決後数日以内と、迅速に決行されるケースが多い。控訴する権利は与えられてはいるものの実際に控訴で逆転できるパターンはわずかである。

反政府運動の首謀者から汚職といった他人に暴力を振るったり生命の危機に直面させない罪などでも、死刑判決即決行に該当する。チベット解放運動家はよく処刑されていた。

人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルでの報告によると、パンチェン・ラマの生まれ変わりと言われた少年を政治犯として逮捕(パンチェン・ラマ2世問題)した。

また同団体の報告によると、2004年で全世界で執行された死刑囚の数の9割以上(約3400人)が中華人民共和国である。死刑に処する罪も多く、現在もほんの一部ではあるが、凶悪犯の処刑を一般人に公開したり政府のテレビ番組内で生中継などをしていることがある。

処刑方法はほとんどが銃殺刑であるが、遺体の器官移植がよく行われるため、器官に傷つけない程度で銃殺されることが多い。最近は中華民国(台湾)の死刑施行方法を取り入れて、薬物で麻酔した上で銃殺するケースも増えてきた。

特に地方の人民法院の裁判官について、質に難があるという指摘がある。裁判中に裁判官が携帯電話でしゃべり出し、審議が中断されるという事例や[3]。また、賄賂を要求することも多く、断ったら会社の設備を破壊され営業不能となった上、押収品を勝手に他者に渡す、といった事例まである。

インターネットへの検閲行為(「ウィキペディア」)

中国国内では、インターネット上のウェブページで、反政府や同盟国の北朝鮮を中傷するページを閉鎖、または回線を切断させたりしていることが多い。

2004年(平成16年)11月には検閲されていない違法なインターネットカフェ1600店あまりを摘発し、更にはネット上で政府を非難する自国人を逮捕しメールの文章も検閲内容として規制されている。

Yahoo!などのアメリカ企業も政府の検閲に協力している。こうした企業に対しては、国際的に多くの人々が、中華人民共和国国内での言論の自由を奪っていると非難している。

しかしながら、Googleはかつて中国中央政府の"要請"で検閲に協力していたが、2009年(平成21年)12月にGoogleのサービスである『Gmail』が中国国内からハッキング攻撃を受けたとして、態度を急速に硬化。

インターネット上での"フィルタリングサービス"を一方的に『解除』を宣言、中央政府との関係が悪くなった結果、Googleは中国から"移動"し、香港にてGoogle谷歌のサーバーを"稼働"させ、中央政府支配地域から"撤退"した。

こうしたネット文化の進展にともない、中国政府はネット規制システム「金盾」をバージョンアップさせた。非常に巧妙化されたシステムであり、一見、巧妙に規制されているとは考えづらい構成となっている。

その一方で、そうした検閲、規制を回避するためのシステムも一部で配布されているとみられ、傲游などがその典型である。中国政府はネットに関する取り締まりを日々強化しており、毛沢東やトウ小平の時代のような、報道規制、情報規制を目指しているとみられる。
                 2012・3・10

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