2006年10月21日
◆「般若心経」
岩本宏紀(在仏)
20年のヨーロッパ生活で、盗難に遭ったのは3回だ。一番悔しかったのは、14年前のアムステルダムでの盗難だった。風邪で2、3日寝込んでいたので頭がぼーっとしていたが、駅に向かった。電車でジュネーブに行き、そこに住んでいる友達とスイスアルプスでのスキーを楽しむという魂胆だったからだ。
電車はアムステルダムが始発。自分の席を見つけてほっと一息。ウェストバッグをはずして背中と座席のあいだに置き、足元のリュックサックから本を取り出そうと、ひょっと前かがみになった。その瞬間、男がウェストバッグをかっさらった。泥棒はみんなそうだろうが、逃げ足の速い男だった。追いかけたが、その男は通路を駆抜け、あっという間にプラットフォームの人混みに消えていった。
ウェストバッグのなかにはパスポートも入っていたので、外国であるスイスへは行けなくなってしまった。鍵も一緒だったので自分のアパートにも入れない。警察に紹介してもらった鍵屋に来てもらい、高い金を払って30分がかりで、やっとアパートのドアを開けた。
しかしそれ以上に辛かったのは、このアムステルダム事件の2カ月前に起きた盗難事件だ。財布に入れていた「般若心経」が、財布ごと何者かに盗まれたのだ。
ぼくの海外赴任が決まったとき、父と母が実家の広島からわざわざ大阪まで会いに来てくれた。
そのときの父の言葉。
「親がどうとかこうとか考えることはないけえのぉ。やりたいように思う存分やったらええんじゃ」。
母の言葉は覚えていないが、ふたつプレゼントをくれた。それが着物と般若(はんにゃ)心経(しんぎょう)の写経(しゃきょう)だった。山奥の高等小学校しか出ていない母が、写経をしたとは驚きだった。
再び父の言葉。
「普通の時間に書いてもご利益(りやく)はないんじゃそうな。家のもんがみな寝静まった夜中に心を込めて書いたんが、これじゃ」。
以来、ぼくはそれをお守り代わりに、ずっと財布に入れていた。在る時、ぼくの親と同じくらいの歳の大学教授夫妻と食事をした折、なにかの拍子でこの「般若心経」をお見せした。すでに6年を経た和紙は折り目のところで破れており、広げても一枚の紙にはならなかったが、墨の色はまったく衰えておらず、どの文字も鮮明だった。
それを見た教授の奥さんの言葉を、今でもはっきり覚えている。
「これを書いて息子さんに持たせたおかあさんも偉いけれど、それを大切に持ち続けている息子さんも偉いと思うわ。そんなものいらないよ、って言う子だって珍しくないもの」。
さきに触れたが、アムステルダムの盗難はこの2ヵ月後だった。ものにも別れる時期というものがあるのだろうか。教授の奥さんの言葉で、母の気持ちがはっきり見えたとき、ものとしての「般若心経」はもはや必要なくなったのかも知れない。
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