2012年03月30日

◆頑張ってる千 昌夫

渡部 亮次郎


昨年の東日本大災害の直後、陸前高田、大船渡の両市を慰問に訪れた。私は若い頃、NHK記者として岩手県に4年の長きに亘って駐在したから、未だに交流のある友人も多いのである。

そこで陸前高田市では同地出身の歌手・千 昌夫の建てたというホテルと対面する結果になった。無残だった。10階ぐらいの鉄筋コンクリートがまるで水没したように5階くらいまで海水に沈んでいた。

以下出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による。

<陸前高田市には「キャピタルホテル1000」という千昌夫が関与したホテルが存在するが2011年の東日本大震災により被災、犠牲者こそ出なかったものの営業を停止している>。

千 昌夫(せん まさお、本名:阿部健太郎、1947年4月8日 - )は岩手県陸前高田市出身の演歌歌手。

農家の次男に生まれた。父親を小学校4年の時に亡くした。1965年、作曲家遠藤実に入門。同年9月5日、「君が好き」でデビュー。「星影のワルツ」(1966年3月24日発売)が1967年秋頃より大ヒット、ミリオンセラーとなり、1968年『NHK紅白歌合戦』に初出場する。

1972年、アメリカ人歌手ジョーン・シェパードと結婚したが、1988年に離婚。後に18歳年下の外国人女性(アマンダ夫人)と再婚し、3人の子供をもうける。次女のダニエラは2009年9月に芸能界にデビューしている。

1979年、1977年4月5日発売の「北国の春」が大ヒット、2作目のミリオンセラーとなり、第21回日本レコード大賞ロングセラー賞受賞。その他に「望郷酒場」「夕焼け雲」「味噌汁の詩」「津軽平野」などのヒット曲も生まれ、歌手としての黄金時代を迎える。

1970(昭和45)年、仙台市に5万坪の土地を4000万円で購入した。東北新幹線の着工決定が手伝い、購入した土地の地価は10倍にも上昇した。

このことがきっかけとなり、1972年「アベインターナショナル」を設立。

次第に不動産業に手を出すようになり、やがてバブル期には不動産会社を設立し歌手を休業。不動産業に専念した。

この時期「歌う不動産王」「ホテル王」と呼ばれるほど、世界各地にマンションやビルなどを所有していた。一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の持ち物と呼ばれるほど。

物真似でもよく「おら金もってんどー」というネタが使われたが、1991年のバブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、2000年2月4日に個人事務所「アベインターナショナル」は経営破綻した(東京地裁に特別清算を申請、負債総額は1,034億円)。

1991年3月「おやじ先生」をリリースし、歌手活動を再開する。以降デュエット曲を発表するなど積極的な姿勢を見せているが、「北国の春」のヒット以来1986年まで連続出場してきたNHK紅白歌合戦にも1989年を最後に落選。

近年は大きなヒットもないが、代名詞とも言える「星影のワルツ」「北国の春」「望郷酒場」などは国民的愛唱歌として歌番組で歌われ続けている。

1,000億円を超える借金を抱えていると言われていたが(ただし、自己破産は行っていない)、その借金の殆どは旧長銀から借り入れた金であり、一時国有化による公的資金投入で一時期3,000億円を超えた借金は、1,000億円にまで棒引きされた。

その後民事再生法の適用により2002年「6年間で約1億5,000万円を返済すればよい」ということになった。

2011年3月11日に起きた東日本大震災に対するジャッキー・チェンが発起人となった香港でのチャリティーイベントにエリック・ツァン、アンディ・ラウ、リッチー・レン、アグネス・チャン、中村雅俊、AKB48の前田亜美、梅田彩佳、松井咲子らと参加[4]、このイベントには義捐金2億9000万円が集まった。

ラジオ深夜便が3月28日、千を取り上げたので、ウィキペディア丸写しでこれを綴った。千氏に面識が無いので了解されたい。

人気絶頂時に超高級車、ロールス・ロイスを所有していたが、真夏の暑い時でもクーラーは切ったまま運転していたという。

「味噌汁の詩」での歌の中「あっぷるるー」での台詞が有名だが、その後の「ふるさとの祭り」では、歌そのものよりも「ガガニコニンニン」といった歌の前の台詞が先行してしまった。

子息が通学していた横浜のインターナショナルスクール、「セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ」が経営難で廃校されることになった際には、廃校反対デモに参加した。

千の事業はホテルや不動産投資が有名だが、その他にも居酒屋も経営しており、「安くて旨い」と業界内外を問わず評判が高く、かなりの繁盛であったが前述の借金から店を閉めざるを得なくなった。

不動産投資の失敗で膨れ上がった借金について、「利子は一日5,000万円です」と本人が困った様子もなく、開き直ったようなコメントを当時のテレビ番組で語っている。

マスコミの借金報道が過熱した結果、「俺はマスコミのおもちゃじゃない。男は余計なことをしゃべらない!」と激怒。以来、マスコミとは距離を置いている。

トレードマークの額のほくろはものまねタレントのコロッケが頻繁に真似ていたが、2000年に開運の意味も込めてレーザー手術で除去している。その後細木数子にほくろは取らないほうがよかったと指摘されている。なおコロッケはその後もほくろありの千昌夫の真似をしている。

高校中退から1965年以前まで北海道岩見沢市にて同郷の左官業者のもとで左官職人志望として働いていた時期がある。

大ヒット曲「北国の春」は発売当初の売れ行きは低調だったが(1977年度オリコン年間シングルチャート139位)、同曲を歌い続け、1978年、1979年の紅白で歌った結果じりじりと売れ始め、1979年度オリコン年間シングルチャート5位の大ヒットとなった。

「北国の春」をテレビで披露する際は、よれよれのレインコートと古びた中折れ帽、丸縁の眼鏡、長靴、手ぬぐいを着用し、くたびれたトランクを提げるという奇抜なスタイルで歌唱していた。

師匠である遠藤実からは「みっともないから止めろ」と言われていたが、それにも拘わらず千は、「演歌歌手は滅多にテレビに出られないから、出た以上は目立たなくちゃ」とこの格好で歌い続けた。

プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会員。

7万本あった陸前高田の海岸松林。津波に遭っても立った1本残った松に復旧、復興への気概を託して、28日のラジオ深夜便では「いっぽんの松」を唄っていた。        2012・3・28

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