「ノルマ」こそは社会主義革命で生まれたソ連を自滅に追い込んだものだと思っているが、最近の日本では平易なビジネス用語になっている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると「ノルマ主義は、労働の意欲を高めるのにはよいが、JR西日本の福知山線脱線事故のようにかえって悪い影響が出ることもある」と言った風に使われている。
ノルマ(ロシア語:Норма, norma)とは半強制的に与えられた労働の基準量であり、大抵の場合時間的強制も付加される。
日本には太平洋戦争後、シベリアに抑留されていた日本兵が帰国した際に伝えられ、日本語の語彙として広まったとされる。
もともとはロシア革命(1917年)によって成立したソビエト政権では、古くからの地主的土地所有制度は解体され、土地の国有が宣言された。
スターリン時代の1920年代末期に農業の全面的集団化が強制的に実行され、屋敷付属地、耕作に必要な生産用具、若干の家畜の私的所有は認めるものの耕地、家畜、農具の主要部分を共同化した協同組合的集団農場がつくられ、これが一般にコルホーズと呼ばれた。
コルホーズに参加した農民への分配は、個々人の労働の量と質に応じた作業日単位でおこなわれていたが、ブレジネフ時代にはいると、職種ごとのノルマと賃金表にもとづく貨幣支給にかわっていった。
ところが集団農場では収穫物が自分たちの所有にならないから、労働意欲は起こらない。また、極端に言えばノルマだけを果たしていれば賃金は支給される。となると様々な場面で怠業(サボタージュ)が行われる。
一方、共産化した中国の国有工場では、働いている人も居眠りしている奴も同じ賃金だから、工場全体の成績は下がる事はあっても、上がることはない。そうした実態を見て、とう(�)小平が改革開放経済に踏み切った理由だ。
ソ連では、穀倉地帯のウクライナで、麦の種まきも集団農場のノルマだ。だから昨日撒いた種麦が昨夜の風で飛ばされても、農民たちは「オレらはノルマは果たした」といって、再播種には応じない。こうしたことが74年間も続けば国は立ち行かなくなる。ソ連崩壊だ。
ソ連崩壊(ソれんほうかい)とは、1991年12月25日にソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、同時に各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体され消滅した事件である。
ソ連崩壊は、1922年の設立以来、アメリカ合衆国に匹敵する超大国として69年間続いたソビエト連邦が独立国家共同体(CIS)に取って代わられその国家格を失ったという事。
更に東側陣営の総本山として君臨し、前身のボリシェヴィキ時代を含めると 1917年以来74年間続いたソ連共産党による社会主義体制が崩壊した事により、かつて世界を二分した冷戦の時代が名実共に終わりを迎えたという、2つの意味で重要な出来事である。
一方、中国でも人民公社(じんみんこうしゃ)が実施された。毛沢東は中華人民共和国における農業集団化のための組織として施行した。農村での行政と経済組織が一体化(政社合一)された。
1958年に大躍進運動の開始と共に合作社の合併により組織され、生産手段の公社所有制に基づく分配制度が実行された。しかし前述のように働かなくても喰えるのがノルマであってもれば、ノルマが社会主義を縛る。
だから、人民公社を必要とした大躍進政策そのものの失敗、それによる毛沢東の国家主席辞任によって公社は形骸化を余儀なくされ、とう(察望�平による1982年の憲法改定、1978年の生産責任制の導入により、人民公社は実質的には機能しなくなっていた。
ところで、1972年9月の日中国交回復に総理同行取材したが、ある一日、記者団(80人)は見学に誘われ、コンクリートの船を作っている人民公社班と幼稚園教育・製薬会社班に分かれた。
私は北京市内の製薬会社班に振り当てられたが、総合ビタミン剤が時折、思い出したようにしか出来てこない状況を見て驚いた。しかもこれで北京市民全体の需要に応じると言う説明。
言いつくろうというか嘘を平気で吐くと言うのか、質問した方が恥かしくなった。斯くなる状況に鑑みてとう(�)小平は「白でも黒でも鼠を多く捕る猫がいい猫だ」と言い放ったため、毛沢東に睨まれ失脚を繰り返すのである。毛が死んだので改革開放経済導入の大願成就となるわけだが。
当時のソ連でも共産中国でも、農民は与えられた猫の額のような自留地での生産率のほうが莫大に高かった。生産はマルクスが言ったように手段の公平化よりは私有欲の方が勝つ。当たり前のことである。
日本では1990年代以降の不況でにわかにノルマという言葉が飛び交った。たとえば保険会社のセールスマンなどの単純営業職従事者などに摘要され、ノルマによって賃金が決められているところがある。
極端な話ではノルマが達成されなければ賃金が極端に減らされるというところがある。また、誰にも達成出来ないような高い基準を設定する、前期比の伸び率に対してノルマを課すなどの方法を用いれば容易に賃金支払い額を抑制出来ることも問題である。
これは調べてみるとソ連から流れた強制労働の理論から出たのではなく19世紀アメリカ資本主義の賃金不払いを論破するための理論だった。
いずれにしろ社会主義体制を支えるためのノルマが結局は縮小再生産社会しか作れず、体制そのものを崩壊させた。この世を支えている真実は、人間の持っている様々な「欲望」でしかない。そのことを一番知っていたのがとう(�)小平、一番それに抵抗しながら死んでいったのがスターリンと毛沢東だった、と言うことになる。
このことから中国の近未来を予測することが出来る。だが別に論じよう。