2012年04月24日

◆尖閣で騙し続ける中国

渡部 亮次郎


日中国交正常化するとき、1972年9月、田中角栄首相と周恩来の首脳会談で両者が尖閣諸島の帰属問題を話し合ったという発表はなかった。

この時、私はNHKの記者として田中首相に同行したが、会談内容を発表する官房長官二階堂進は「内容は一切発表できません」と繰り返した。

しかし、最近の「ウィキペディア」によると、

<9月27日:日中国交正常化交渉のため中国を訪問した田中角栄内閣総理大臣と周恩来国務院総理との第3回首脳会談の中で、田中角栄が尖閣諸島について問うた。

周恩来は「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない。」と述べている。

これより1年前の1971年7月28日、日中国交正常化交渉の一環として北京で行われた竹入義勝衆議院議員(公明党)と周恩来国務院総理との会談の中で、周恩来が「尖閣列島の問題に関心がなかった」としたうえで、「石油の問題で歴史学者が問題にした」と述べ、中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは、付近に眠る石油資源が目当てだったことを認めている。

この件は、2010年9月30日に行われた衆議院予算委員会の尖閣諸島中国漁船衝突事件に関する集中審議で取り上げられている(質問者は富田茂之衆議院議員)。

この周恩来の発言は、日本政府の「中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半、東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及び、はじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです」とする主張を証明するものである。

なお、この会談を記録した中国側の資料では、会談内容が省略されているため「石油の問題で歴史学者が問題にした」に関する部分が記載されていない。

1978年8月8日、福田赳夫内閣で官房長官から外務大臣に横滑りしていた園田直(すなお)が日中平和友好条約締結への最終交渉のため、特別機を仕立てて訪中。私は記者から彼の秘書官に転じていて随行した。

これに先立ち4月、約100隻の中国漁船が尖閣諸島に接近し、領海侵犯、領海内操業を行った。

5月11日には日本の右翼団体「大日本赤誠会」の「尖閣諸島領有決死隊」上陸。日章旗を掲揚。

尖閣諸島の帰属問題では、自民党内でも石原慎太郎ら青嵐会(せいらんかい)が中心で、「帰属問題を解決しない限り、園田外相には平和友好条約には調印させない」と息巻き、福田首相を突き上げていた。

こうした情勢を受けて園田大臣はトウ小平副首相と会談した際、「4月の約100隻の中国漁船による領海侵犯もんだいもあり、この際帰属問題をはっきりさせたい」と提議した。

するとトウ小平はすかさず「この問題は今は棚上げしたい。互いに次世代が知恵をだすだろう」と逃げを打った。園田はなおも食いついたがトウは逃げるばかりだった。

トウはその後、条約の批准書交換のために黄華外相に同行して、この年の秋、日本を初訪問。日本記者クラブで行われた会見の席上で、

「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国(田中首相と周恩来総理)はこれに触れないと約束した。

今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れると、はっきり言えなくなる。

こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」と述べた。

だが周恩来もトウ小平も完全に日本政府を騙したのだ。「知恵」なんて少なくとも中国は出さず、とにかく領有の既成事実化だけを焦って、いまでは武力をちらつかせて日本を脅しにかかっている。
文中敬称略             2012・4・22
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