2006年11月04日

◆豹変した和歌山県知事

                   渡部亮次郎

<木村知事が辞職 知事、「県政を混乱させた」
和歌山県の木村良樹知事(54)は10月2日午後、緊急記者会見を開き、県発注のトンネル工事の談合事件で「県政を混乱させた責任を取る」と辞職することを表明した。

談合事件への関与についてはあらためて否定したものの、県議会議長は同夕、辞職願を受理した。6日にも県選挙管理委員会に通知する予定で、通知から50日以内に出直し選挙が行われる。>紀伊民報 3日

この記事を読んで私はある多選知事の突然の引退表明に思いが及んだ。この知事は7選が決定的といわれながら1970年の終わりごろ、次春の引退を突然表明し、予告どおり次の年の4月に引退した。

○○年には勲○等瑞宝章を受章したが、引退表明から3年後に死去。享年○5。叙・従○位。確たる実績。報道によれば彼の故郷では今年、生誕100年祭が催されたという。

しかし以下を証言すべき人物も若くして死去してしまったために、今では私の記憶にしかないが、私はこの談合屋のところへ、ある大手建設会の営業部長が訪ねて密談しているところを目撃してしまった。NHKを途中退職(1977年)して間もなくだった。運悪く営業部長は元国会議員の秘書だったので、彼とも昵懇の仲だった。

ピンと来るものがあったが、気のつかなかったフリを決め込んだ。すると却って談合屋のほうから「○○地検特捜部がある県の空港建設に絡む汚職事件の捜査を開始したので口裏合わせに来たのさ。結局、知事が引退を表明すれば、逮捕は見送ると言っているんだそうだ」。贈収賄の金額も聞いた。

私はもう記者ではなかったし、外務大臣秘書官としては余計なこととして胸にしまいこんだ。そしたら直後に件の知事の引退表明があって、捜査は見送られた。従って県民はあの山の上の空港建設に絡んで大きなヤマがありながら見送られたことなど知らないで終わった。旧制中学卒が遺した遺産は実質300億円と噂が立ったそうだ。

しかも前知事ドノは予告どおり、病のため引退表明から3年後、引退からは2年半後には死去。疑惑は完全に伏せられた。それが証拠に生誕100年祭が挙行されたのだから。正に名知事としての名が残っているわけだ。

和歌山県の木村知事は前日は『這(は)いつくばってやる』と言っていたのだ。ところが翌日になって、そう言った言葉が議会与党から批判されたことを辞職の理由の1つに挙げた。あまりにも軽い理由ではないか。

木村知事は大阪府出身。京都大学法学部卒業後、自治省に入省。和歌山県総務部長や大阪府総務部長、同副知事を歴任。2000年9月、当時最年少で知事に初当選。04年8月に再選されていた。と言う事は検察当局と繋がるパイプを持っていたとしてもおかしくない。

前日の会見では、給与半額や退職金の返上を自らに課した上で、続投を宣言。翌日には談合とのかかわりについては「やましいことはしていない」「事件には全く関係していない」と語気を強めて否定したものの、会見を6分弱で打ち切った、つまり、決意豹変の真相は絶対、触れてもらってはいけないところにある証拠だ。記者は検察との取引を疑うべきだ。

<会見後、木村知事はすぐに退庁し、午後6時ごろ、知事の代理で野添勝知事公室長が向井嘉久蔵県議会議長に12月2日付の辞職願を提出した。

知事は酒をあまり飲まないことを引き合いに、日ごろから自らのクリーンさを強調していた。しかし、トップダウン型政治の裏返しで、庁内で知事に率直に進言できる人間は限られていた。

そんな中で、建設業界に顔が利く前出納長が重用され、元ゴルフ場経営者が「談合のブローカー」として暗躍する余地が生まれた。

気がつけば、県政に古くから根を張っていた官製談合の仕組みが「特権」人脈とともに息を吹き返し、「しがらみ」のないはずの木村県政にシロアリのように食いついていた。>紀伊民報('06/11/04)
執筆:06・11・04

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