2012年05月15日

◆これからの子育て支援(その5)

紀ノ本 晶子


〜私を学ばせたエチオピア〜 


日本に戻ってから、私は個人の産婦人科での仕事を始めました。同時に新生児訪問や乳児健診など地域のこどもを相手にする仕事と、保健師として僻地?とでも呼べばいいのか、都市には近いけれども農村部で行政サービスの届きにくいところでの仕事も縁あって始めることになりました。

産むことより育てることのほうが、延々続く悩み多き大変な作業で、地域で困っている人を何とかしたい!という思いが強かったからです。

産婦人科での仕事以外は7年たった今も細く長く続けているところで、結局は「地域での活動が私の好きな仕事」なのだと思っています。

今、日本の個人病院に多いのが「きれいな設備、シャワー・トイレ付個室、お祝いのフレンチフルコース」、というところでしょうか。エチオピア帰りの私には違和感が大きかったです。

日本の出産の流行でしょうか。何人も子供を産むわけではないし、しんどい思いもするし、「自分にご褒美を」という感覚のようです。

実際、子育て中の母にとってご褒美はとても大切なことだと思います。でも、以前から言われていたことかと思いますが、現代人に出産は命がけ、自分で産まなくてはという感覚は、薄れてきているようです。(自分で産むんだという感覚・覚悟を助産師は取り戻せるよう、手伝わなくてはなりません。きっとそれが本当の満足につながると私含め思っている助産師・施設は増えています)。

そんな訳で、私は自分の出産の時に病院で出産するという頭は全くなく、エチオピア人とは事情が少し違うかもしれませんが(少し前までは日本でも自宅出産がほとんどでしたよね)、家で出産するのが自然で当たり前だと思い込んでいました。

ご縁があってその願いも叶い、何とか無事2人の子を家で迎えることができたのでした。いろんな情報があって、いろいろ選択できる日本にいるのですから、出産も自分のこととして産む主体が満足できる方法を選ぶことができたらいいのになと思います。

子育てを始めて、「自分のしている新生児訪問などの地域で生活する親子を支える仕事」というのがとても大切で、なくてはならないと改めて感じ始めました。子どもはとてもかわいいのに、特に赤ちゃんの間はどこにも出ていくにも不自由で、大人と話をしたい、どこかに出ていきたいという思いをずっと抱えていました。

「赤ちゃんの交流会」みたいなものに参加したくて、すぐ応募するのですが、定員オーバーでキャンセル待ち。よく泣くわが子に手いっぱいで家事もままならない。話をしたくても友達もいない、私はどうしたらいいの?夫の帰りが待ち遠しく、それなのに、帰ってきた夫と口論、もういやだ、なんていうこともありました。 (つづく)
(助産師・保健師)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック