2012年06月26日

◆わが兄 81歳の死

渡部 亮次郎


我が兄、渡部誠一郎が2012年6月24日、入院先の秋田市中通病院で肺炎の為、12時05分に息を引き取った。81歳だった。自分では「夢枕に立った親父がお前は87まで生きるよといっていたよ」と言っていたのに6年も早く死んでしまった。痛恨の極みだ。

6月5日が81の誕生日だった。祝いの心算でかけた電話に出たのは嫂の玲子だった。「実は肝臓膿腫で入院しています」というので驚いた。5月27日からだという。

嫂の説明では肝臓に膿のたまる病気だそうで、針で吸いとる気長な治療を受けているということだった。しかし、昔の人流に言えば、夢見が悪いので気にしていたが、当日12時15分頃、弟からの携帯電話で12時05分誤嚥下による肺炎のため死亡したと知らせてきた。

昭和6年6月5日早朝、父慶太郎 母鈴江の第2子、長男として誕生した。どういうわけか学校の成績が抜群に良く、両親は渋ったが、県立秋田中学に合格した。

また陸上競技部に入り、長距離ランナーとして活躍。夕方、帰宅してからも走りこんでいた姿が瞼の裏に残っている。

学校はその後、学制改革により秋田高校となったが、卒業までの3年間通して学年首席で通した。しかし家が貧しく、兄弟も多かったので、東大医学部に行き医者になるという夢はあきらめるしかなかった。

仕方なく近くの五城目中学校で代用教員をつとめていたが、間もなく地元紙「秋田魁(魁)新報」の取材記者に採用されてジャーナリスト生活を始めた。

彼の高校卒業から4年後、間違って私も秋田高校に合格したが、そこで出合った五城目中学出身者は皆、兄の教え子で成績優秀だったので、なんとなく嬉しかった。

そういえば中学時代、私は中学で野球の選手になった。ある日、五城目中学と対戦したら兄があちらの監督だった。私はたしか三塁打を叩きつけたように思う。兄は後で「あの時は参ったぜ」といっていた。

兄はその後論説委員長、常務取締役を歴任。次は専務かとおもったが、先に交通事故に遭って左目を失明していたこともあって奨めをことわって退職してしまった。

趣味とてなく、退職後は退屈だったとおもうが、よく、入院はした。肝内結石で手術2度。結石は胆嚢が融けてなくなったため行き場を喪った胆石が肝臓に入り込んだものだった。

1か月入院して石は除去したが、退院前の念入りの撮影をしたところ、肝臓の中にもう1個石が有るとわかって再手術。私なら医者をなぐるところ。短気な兄はよく我慢した。

このときの手術で胃癌が発見されて全部摘出、更に頭蓋骨を2度開けている。くも膜下出血予防の為だったが、初めの手術が失敗したためのやり直し手術をした。

私よりさきに糖尿病を発症。今年にはいってから「低血糖」で緊急入院したようだ。

それが良くなって退院したと思ったらこんどは肝臓が痛くなって再入院しらべたら肝のう胞だった。

私はじめ多すぎるほどの兄弟姉妹に足を引っ張られたために出世できなかった兄。良く頑張った。ありがとう。静かに眠って下さい。
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